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重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい

2023年7月9日 聖霊降臨後第六主日

マタイによる福音書11章16~19節と25~30節


福音書  マタイ 11:16~19&25~30 (新20)

11:16今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。

17『笛を吹いたのに、

踊ってくれなかった。

葬式の歌をうたったのに、

悲しんでくれなかった。』

18ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、 19人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。しかし、知恵の正しさは、その働きによって証明される。」


25そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 26そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 27すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 28疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 29わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 30わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」


引き続きマタイ福音書を読んでまいります。先週まで読んでいた10章において弟子たちを送り出されたイエス様は、その後各地で宣教の働きを続けられます。11章1節に「イエスは十二人の弟子に指図を与え終わると、そこを去り、方々の町で教え、宣教された。」とある通りです。今日の日課の前半の16~19節はヨハネの弟子たちが帰った後、イエス様が群衆に向かって言われた言葉です。内容を詳しく見ていきたいと思います。


イエス様は「今の時代」をたとえて『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。』と言われます。この言葉からは洗礼者ヨハネやイエス様の呼びかけに応えない人々の姿が想像されます。さらにイエス様は「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う。」とおっしゃっています。


イエス様が言いたいのは、ヨハネが禁欲を呼びかけた時、人々はそれを批判し、反対にイエス様が自由をもたらされた時も、世の中の人はそれを批判したというのです。「葬式の歌」に象徴されるヨハネの厳格な生き方も、「笛や踊り」が象徴するイエス様の自由な生き方も、人々はどちらにも応じることなく批判ばかりする、あなたがたはそうなってはならない、ということが言われています。人々はヨハネの呼びかけた悔い改めに応じるべきでしたし、イエス様のもたらされる新しい生き方にも応じるべきでした。


この話を締めくくってイエス様は「しかし、知恵の正しさは、それに従うすべての人によって証明される。」と言われます。新しい聖書では「しかし、知恵の正しさは、その『働き』が証明する。」となっていてこちらの方が正確な翻訳です。イエス様はご自分が知恵そのもの、知恵が肉体を持った姿であるとした上で、イエス様の正しさはその働きが証ししてくれるというのです。それはイエス様の力ある業や権威ある教えが、イエス様がメシアであることを証明したのと同じことです。


その後日課は20~24節の「悔い改めない町を叱る」というエピソードを省略して25節に接続します。「疲れた者、重荷を負う者は…」という有名な箇所です。イエス様は祈られた後、人々に呼びかけて「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われます。これらの言葉は実はイエス様のオリジナルではなくて、シラ書の51章がもとになっていると言われています。


シラ書というのは聖書の続編(外典)にあたり、『集会の書』『ベン・シラの書』とも呼ばれる知恵文学です。シラ書はイスラエルにおける様々な教訓を集めたもので、その内容は神と律法への忠実さが知恵の中心であるという思想に貫かれています。シラ書51章には「わたしのそばに来なさい、無学な者たちよ、/学舎で時を過ごしなさい。なぜ、いつまでもそのままの状態でいるのか。お前たちの魂は激しく渇いているのに。わたしは口を開いて語ってきた、/知恵を得るのに金はかからないと。軛(くびき)の下にお前の首を置き、/魂に教訓を教え込め。知恵はすぐ身近にある。目を開いて見よ。わずかな努力で、/わたしが多くの安らぎを見いだしたことを。」という言葉があり、「わたしのそばに来なさい」「軛」「安らぎ」というキーワードが今日のイエス様の言葉と共通しています。順番的にはシラ書のほうが先に書かれていますので、イエス様の言葉はここからとられたのではないかと言われているわけです。


またシラ書6章では「知恵」というのがやはり「枷」や「憩い」と結びつけられています。「足に知恵の足枷をかけ、/首に知恵の首輪をはめよ。」(6:24)ですとか「肩を低くし、知恵を担え。その束縛にいらだつな。」(6:25)「ついには、知恵に憩いを見いだし、/知恵は、お前にとって、喜びに変わるだろう。」(6:28)という言葉です。そしてここで思い出しておきたいのが「律法への忠実さが知恵の中心である」というシラ書の中心的思想です。シラ書のなかでは知恵イコール律法です。聖書の時代の人々にとって、律法こそが「知恵」であり、それは人間にとって「軛」「足枷」「首輪」である一方で、人間に「安らぎ」や「憩い」をもたらすことができる唯一のものでした。


しかしイエス様は「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」と言われます。「重荷を負う者は、学校に行って律法の勉強をしてきなさい」とは言いません。なぜなら、今やこの世には律法だけではなくて神の子イエス様がもたらされたからです。イエス様が来られるまではシラ書が言うように「知恵」すなわち「律法」こそが「良い軛」でありました。律法は人々を制御し、訓練し、憩いに至らせたからです。しかし福音書はイエス様ご自身を、律法に代わって知恵の位置に就く者として紹介しています。19節で言われている通り、イエス様は知恵そのものであるのです。シラ書の原則は「知恵イコール律法」でしたが、マタイ福音書はそれを「知恵イコールイエス様」と置き換えています。


そしてイエス様は「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」と言われます。律法という「知恵」が時に人々にとって重く、人々を疲れされるものであったのとは対照的に、イエス様という「知恵」は軽く、柔和で、謙遜なものです人々は今や律法を通らずにイエス様を通ることで安息を得ることができるのです。だから、私のもとに来なさいとイエス様は言われます。


このイエス様の言葉は当時の人々にとって律法というものがいかに大切で、同時にいかに負担であったか、そしてそれを背負わなくてよいから私のもとに来なさいと言われたイエス様の教えがいかに新しくて、いかに良い知らせだったかということを私たちに感じさせます。私たちは2023年に生きていますしイスラエルに生まれてもいませんのでなかなか同じ気持ちになることは難しいですが、しかし律法に限らずとも私たちが背負うのが当然と思って担ってきた重荷、私たちを疲れさせ苦しめている重荷、というのがきっと何かしらあるはずです。


今月号の「るうてる」では小泉嗣牧師がこの箇所についてこう書かれています。「もちろん私たちのまわりには律法学者やファリサイ派はいませんし、直接的な圧政に苦しめられているとも言えないでしょう。しかし私たちは、傲慢で、険悪で、自らの正しさや、知恵や力に頼る人々によって、また社会によって、どこかで無理を強いられ、何がしかの圧力に疲れを感じているのではないでしょうか?またもしかしたら、自分自身がそのように無理を強いたり、圧力をかけたりしているのではないでしょうか?そしてそのことによって、重荷を負い、生きることに疲れてしまっているのではないでしょうか?」(るうてる2023年7月号)そしてそのような私たちに対して、イエス様は2000年前と変わらずに呼びかけてくださっているのだと小泉先生は書かれていました。


イエス様の言葉は時を超えてすべての人に働きます。イエス様の言葉は律法の重荷に苦しむイスラエルの民に対してのみならず、今日ここで生きる私たちにも向けられています。私たちの社会で律法のように「軛や足枷や首輪でありながら人間に安らぎや憩いをもたらすことができる」とされているものはなんでしょうか。「大切なものでありながら、時に人々にとって重く、人々を疲れされるもの」となっているものはなんでしょうか。肩書でしょうか、経済的な豊かさでしょうか、家族構成でしょうか。


イエス様はそれを捨てろとは言っていません。でもそういったものが重荷であるならば、休ませてあげようとイエス様は言われるのです。私のところに来なさい、あなたがどんなあなたであっても、私が一緒にいるならば、それで大丈夫なのだ、あなたは社会の一員である前にかけがえのない神様の子どもなのだとイエス様は言われるのです。そんなイエス様の呼びかけにこたえて、これからも疲れた時、苦しい時、悩む時には「重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。」というこの言葉を思い出したいと思います。


るうてる2023年7月号はこちらから



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