会堂で教えるイエス
2025年1月25日・26日 顕現後第三主日
福音書 ルカ4:14~21 (新107)
4:14イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。 15イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
16イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 17預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
18「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
19主の恵みの年を告げるためである。」
20イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
引き続き顕現後の期節を過ごしています。いま私たちはイエス様の伝道のはじめについて読んでいて、先週はイエス様がガリラヤのカナで行われた最初の奇跡について聞きました。今日はイエス様が初めてナザレの会堂でお教えになった時のお話を聞きたいと思います。顕現後の主日は主の洗礼から始まって、先週が初めての奇跡、今週が初めての教え、そして来週が初めての迫害、という流れになっています。
今日の日課はルカ福音書の4章です。4章までに洗礼を受け、40日間荒れ野で誘惑を受けられたイエス様は、霊の力に満ちて地元のガリラヤに帰られます。この時すでにイエス様の評判は周辺一帯に広まっていたようです。15節にはイエス様はガリラヤのあちこちの教会で教えられたと書かれています。その教えの内容がすばらしかったので、イエス様は皆から尊敬を受けておられました。
ガリラヤで教え始められたイエス様は、ついにお育ちになられたナザレの会堂に来られ、そこでもお教えになります。16節で会堂に入られたイエス様は聖書を朗読しようとしてお立ちになられたと書かれています。この日イエス様がお読みになったのは預言者イザヤの書でありました。まだ本がない時代でしたので、それは巻物に記されていました。そしてそこには、まさにイエス様のために書かれた預言の言葉が記されていたのです。
イエス様は巻物をお開きになると、イザヤ書のある一節に注目されました。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」イザヤ書の61章1~2節にある言葉です。この巻物は霊の力によって選ばれたのでしょう、まさにイエス様のために書かれた言葉がそこにありました。
この言葉はもちろん、預言者イザヤが来るべきメシアについて預言したものです。いつか父なる神様から救い主が遣わされ、その時には私たちに解放が、自由が、そして恵みがもたらされると、イザヤは記しています。イザヤ書は紀元前700年前後に書かれていますから、それから700年あまり、イスラエルの人々はメシアを待望しつつこの言葉に耳を傾けてきたのです。
ナザレの人々もまた同じでした。この言葉を聞いた人々は「救い主はいつか必ず来られる」という希望を新たにしたに違いありません。言い換えればそれは「救い主はいつか来るけれども、たぶん今日は来ない、でも子孫たちのためにこの約束を語り継ごう」という受け取り方でした。救い主を待ち望む長い長い年月の間に、人々と神との間には大きな隔たりが生まれていたのです。
そんな人々の前で、イエス様はこう話し始められます。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。イエス様は「私がメシアである」と故郷ナザレの人々の前で語り始められます。救い主が来るのはいつかではなく今である、私こそメシアである、と明らかにされました。預言者イザヤの言葉はいま私が来たことによって成就したとイエス様は語られたのです。
そうして人々の信仰は変化の時を迎えます。イエス様の到来によって、聖書の言葉はいつか来るメシアを待ち望むためのものではなくなりました。先祖が律法を守り正しく生きてきたのも、自分望みを後回しにしてもっぱら神に仕えてきたのも、この地上にメシアを来たらせるためです。子や孫が神の民としての完全な喜びを受け取るためです。そしてついにその日が来たとイエス様は告げています。イスラエルの民の信仰が報われ、そしてその信仰が世界中に広まっていくような、そんな新しい時が始まったとイエス様は宣言しておられます。なぜなら「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」から、イエス様こそがメシアであるからです。
今日はイエス様が会堂で聖書を朗読され、教えられる場面について聞きました。ユダヤ教の時代から、信仰者にとって聖書、神のみ言葉というのは本当に大切なものです。はるか昔の人々も、こうして集まって聖書の言葉を聞いて、それによって慰められ、悔い改め、救い主を待ち望む希望をいただいてきました。そしてイエス様を信じる私たちにとっては、聖書の言葉は、イエス様を証しするものとなりました。救いの預言がイエス様によって成就され、イエス様によって私たちは救われているということを、私たちは聖書を通して知っていくのです。
今日は改めてみ言葉を聞いて礼拝するということの喜びを思い、約束の成就としてこの世に来てくださったイエス様に感謝したいと思います。来週はこの続きです。イエス様のこの説教を聞いてナザレの人々がどう反応したかということについて読んでいくことになります。また来週もご一緒にみ言葉を聞いてまいりましょう。
1月25日・26日 教会の祈り
司)祈りましょう。
(小倉・門司・八幡)
全能の神様。明日/今日行われる北九州市議会議員選挙を顧みてください。私たち一人ひとりと、また政治の任を託された者たちが、愛と正義を求め、社会の平和と公正のために仕えることができますようにお導きください。
(直方)
全能の神様。病気療養中の人、入院中の人、そしてそのご家族を顧みてください。痛みや不自由さと共に過ごす中にあっても、神様からくる希望を与え、あなたに守られていることを信じて生活することができますように、助けてください。
主なる神様。本日開催される門司教会/小倉教会の定期総会をお守りください。私たちが教会の未来について希望を持って語り合うことができますように。北九州地区の変化の時にあって、教会員一人ひとりが祈りを合わせ、力を合わせることができますように。次週開催される八幡教会の定期総会、2月9日に開催される直方教会の定期総会もあなたがお守りください。
恵みの神様。主イエスはナザレの会堂でご自分が預言の成就であることを明らかにされました。神の民の信仰を受け継ぐ私たちが、イエス様がメシアであることを受け入れ、福音と自由と恵みを受け取ることができますように。キリストの光がこの世にますます広がりますように。
私たちの主イエス・キリストによって祈ります。
会)アーメン
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