荒れ野の誘惑
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2021年2月21日 四旬節第一主日
マルコによる福音書1章9~15節 「荒れ野の誘惑」
福音書 マルコ 8:31~38 (新77)
31それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。 32しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。 33イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」 34それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。 35自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。 36人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。 37自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。 38神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
四旬節(しじゅんせつ)が始まりました。イースターに向けて、イエス様のご受難を覚える期間をこれから過ごしていきます。四旬節はまた、洗礼準備の期間でありました。昔むかしの教会では、洗礼式は年に一度、イースターにだけ行われるものでした。ですから四旬節のこの期間、洗礼を志願する人たちは最後の準備として断食し、徹夜の祈りを捧げました。やがて生後すぐの洗礼が一般的になるとこの習慣はすたれましたが、教会は今でもこの時を洗礼準備の期間として意識しています。そういうこともあって、今日の第一の日課と第二の日課にはいずれも水や洗礼を思い起こさせるような箇所が選ばれています。
今日の聖書の物語では、イエス様が洗礼を受けられて、その後荒れ野へ行かれます。これはイエス様ご自身の意志によるものというよりはむしろ「霊」によって送り出されてのことでした。神様のご意思であったのです。イエス様はそこに四十日間とどまり、サタンから誘惑を受けられました。四十、という数字は聖書において「準備の期間」を意味します。出エジプトの時、イスラエルの人々は四十年間荒れ野をさまよいました。ヨナはニネベの人々に四十日以内に改心しなければこの都は滅びると予言しました。
そしてまた四十日間という期間は、モーセとエリヤが神と相対した期間でもありました。モーセはシナイ山に四十日四十夜とどまって律法を授与され、エリヤは四十日四十夜歩き続けた後で神と言葉を交わすことができました。モーセとエリヤは先週のお話にも登場しましたが、彼らは旧約聖書の伝説的英雄、それぞれ律法(モーセ)と預言者(エリヤ)を象徴する人物です。イエス様が彼らと同じように四十日という準備期間を過ごされたということは、そこに神様のご計画があったのだと思わされます。
四十日の間、イエス様はサタンから誘惑を受けます。サタンはイエス様を誘惑するため、神によって遣わされたのです。「サタン」という語は「敵」をあらわし、旧約聖書においては神の選んだ者を試みるために遣わされる天界の一員として描かれています。ヨブ記には「またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。主はサタンに言われた。『お前はどこから来た。』『地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました』とサタンは答えた。」とあります。地上をパトロールして何事か神様に報告していたのでしょうか。またゼカリヤ書には「主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。」とあります。サタンは神様や天使たちと同じようなところにいて、人間を訴えようとしています。いずれにせよ、地上を見張るような何らかの役割を神様から与えられているようです。
そんな荒れ野での日々をイエス様は忍耐されます。一人さびしいところで試みを受け、時には飢えて、時には危険を感じる四十日間であったと思います。そしてイエス様は、ようやく人々のいるところに出て行かれます。イエス様の宣教のはじまりです。イエス様はガリラヤへ行き「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言って伝道されました。神様の御心に従って荒れ野で四十日間を過ごされた後、ようやく時が満ちたのです。イエス様ははじめから、忍耐と従順の方でした。そしてそれは十字架で死なれるまで変わることがありませんでした。
私たちはこれから四十日間、イースターに向けて準備の期間を過ごします。イエス様が死んで復活されたことをより深く受け止め、信仰を新たにするための準備期間です。そしてまた、忍耐と従順を学ぶための準備期間です。私たちにとってイースターの(特に祝会の)時間が一番楽しいのは言うまでもありませんが、それでも準備の時間は、意味のない時間ではありません。私たちがもっとも神を近くに感じ、もっとも天使たちの助けを受ける期間です。
出エジプトの荒れ野での四十年間、神はイスラエルの民を片時も離れずにおられました。シナイ山での四十日間、神はモーセと共にいてくださいました。エリヤがホレブの山を目指して歩き続けた四十日間、天使たちが来て食べ物を与えてくれました。そしてイエス様が荒れ野で過ごされた四十日間も、神が共におられ、天使たちがイエス様に仕えていました。準備の期間はつらい期間でありながら、あの時神が、天使が、共にいて助けてくださったということを実感できる期間でもあるのです。
四旬節の期間、私たちは自らの罪と向き合います。イエス様が死んでしまうことの悲しみと痛みを味わいます。しかしそんな中にあって、いっそう神様の助けを感じ、いっそう復活を待ち望むようになるのだろうと思います。私たちのこれからの四十日間が聖なるものとされますように、祈りつつ過ごしてまいりましょう。
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