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ナルドの香油

  • jelcnogata
  • Apr 2, 2022
  • 5 min read

2022年4月3日 四旬節第5主日

ヨハネによる福音書12章1~8節


福音書  ヨハネ12: 1~ 8 (新191)

12: 1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。 2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。 3そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。 4弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。 5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」 6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。 7イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。 8貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」


四旬節の最後の日曜日となりました。今日も引き続き、イエス様のご受難に向けて聖書を読んでまいりたいと思います。今日の物語は、イエス様が過越祭の六日前にベタニアに行かれるところから始まります。過越祭は、出エジプトの出来事を記念するユダヤ教のお祭りです。これはユダヤ暦の新年であるニサンの月の14~21日に行われるもので、太陽暦でいうところの3月~4月にあたります。ユダヤの人たちは過越祭の期間中、エルサレム神殿に巡礼することになっていました。


祭りの六日前、イエス様はエルサレム神殿に行かれる前にベタニアに立ち寄られます。ベタニアはエルサレムから15スタディオン(約2.8㎞)ほど離れたオリーブ山のふもとの村で、ここにはラザロ、マルタ、マリアのきょうだいが住んでいました。ラザロはイエス様の知り合いで、かつて死んでいたところを生き返らせてもらった人物です。このラザロの復活の奇跡が評判になったことがきっかけで権力者たちはイエス様をますますねたみ、イエス様を殺すことをたくらむようになりました。


ベタニアに行かれたイエス様はラザロの家で夕食を取られます。三人のきょうだいのうちマルタが給仕をし、ラザロはこの時すっかり良くなってイエス様と共に食事の席についていました。マリアだけが不在でありました。


姿の見えなかったマリアは、やがて「純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ」持って食卓に現れます。ナルドはヒマラヤ原産のおみなえし科の植物で、その根から取られるナルドの香油は古典的香料の一種でありました。ナルドはヒマラヤ、中国、インドの高地でしか育たないため、イスラエルで流通していたナルドの香油はすべて輸入品であったと思われます。


そんな貴重なナルドの香油をマリアは一リトラ(327.45グラム)も持って現れたのです。5節ではそれに300デナリオン相当の価値があると指摘されています。1デナリオンが労働者の一日分の給料に相当すると言われているので、マリアの持ってきた香油は一般人の年収に相当するほど高価なものでした。しかしマリアは惜しげもなくその香油をイエス様の足に塗り、自分の髪でその足をぬぐいます。すると家は香油の香りでいっぱいになりました。そこにいた誰もがその香りに気付き、二人を見つめたことでしょう。


そこでイスカリオテのユダが口を開きます。「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」というのです。マリアのしたことはとんでもない無駄遣いだと言って、マリアを厳しくとがめました。しかし聖書によればそれはあくまでも建前でした。本当は「貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった」と書かれています。


そんなイスカリオテのユダに対してイエス様は「この女のするままにさせておきなさい。」と言われます。イエス様によればマリアは「わたしの葬りの日のために、それを取って置いた」のです。マリアがイエス様の足に香油を塗ったのは、イエス様の遺体に香油を塗る未来を先取りしてのことであるとイエス様は告げられます。(当時は死体の防腐剤として埋葬の時に香油を塗る習慣がありました。)まもなく私が死んで葬られる時が来る、マリアはそれを予告しているのである、とイエス様は言われるのです。


イエス様はこの場面を「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」という言葉で締めくくられます。もちろん貧しい人を助けることは大切なことですし、律法にもそうしなさいと書かれています。しかし救い主に油を注ぐ、イエス様の死を先取りして香油を塗るというこの行為には、それ自体独自の価値、他と比べようのない重要性があります。イエス様は人々の救いのためにただ一度死なれました。そのイエス様の十字架の前に道を備え、イエス様に愛を示すという行為を、誰も妨げることはできないのです。


コリントの信徒への手紙Ⅰ13章3節には「全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。」と書かれています。今日の聖書の物語で、ユダは自分を守るために「貧しい人々に」と発言しましたが、マリアは自分のことではなく、ただイエス様のことを思って行動しました。そしてイエス様はマリアのしたことを喜ばれました。神様が最も喜ばれるのは愛だからです。


ベタニアのラザロの家で、マリアは高価な香油を惜しげもなくイエス様に注ぎました。そしてイエス様の足もとにひれ伏し、心を込めてその足をぬぐいました。大量の香油は強烈な香りを放ちます。周囲にいた誰もがその香りに引き付けられたでしょう。香油の香りに乗って、マリアのイエス様に対する愛と、そしてイエス様の死の予告が、人々に伝わっていったのです。


こうしてベタニアでひと時を過ごされたイエス様は、十字架におかかりになるためにいよいよエルサレムに入られます。マリアがベタニアでイエス様に示した愛を思い起こしながら、引き続き受難の物語を読み進めてまいりたいと思います。

 
 
 

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