イエス様のお誕生
2021年12月24日 クリスマス・イブ
ルカによる福音書2章1~20節
福音書 ルカ2: 1~20 (新102)
2: 1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 13すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
15天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。 16そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。 17その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。 18聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。 19しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。 20羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
クリスマスおめでとうございます。この夜、私たちが待ち望んでいた救い主がお生まれになりました。思えば4週間前から、洗礼者ヨハネの話を聞いたり、マリアとエリサベトの話を聞いたりして、イエス様のお生まれを今か今かと待ち望んでいたわけですが、ついにこの夜、イエス様が私たちのためにお生まれになったことをこうしてお祝いすることができています。しかしその喜びは、ある意味でとっても控えめなものです。暗い礼拝堂にほのかな灯りをともして、静かに讃美歌を歌いながらイエス様がお生まれになった喜びをかみしめています。だいたいどこの教会でも、クリスマス・イブは静かに過ごします。それは、イエス様のお誕生の次第が、聖書に書かれているように、とても慎ましいものであったからです。
イエス様はヨセフとマリアという両親のもとにお生まれになりました。聖書には、彼らは住民登録のための旅の途中、宿屋にも泊まることができず、家畜と同じスペースに身を寄せていたと書かれています。もっとお金があったりもっと権力があったりしたら、もしかしたら一部屋ぐらいは融通してもらえたかもしれません。でも、ヨセフとマリアはそういう立場にはない、極めて素朴な人々でした。聖書にはまた、羊飼いたちがイエス様のお生まれを知って訪ねてきたと書かれています。イエス様のお誕生に駆け付けたのは、長老とか議員ではありませんでした。むしろ、社会的地位の低い仕事とされていた羊飼いをしている人々だったのです。イエス様は平凡なヨセフとマリアを親とされ、貧しい羊飼いたちを最初の訪問者とされました。おおよそ救い主にはふさわしくない、ひっそりと控えめな誕生物語です。
イエス様は貧しいところにお生まれになってありがたいですねみたいなこの話は、みなさんももう100回ぐらい聞いていると思いますが、でもやっぱり何回聞いてもありがたいと思います。だってイエス様は神様ですよね。神様は全知全能ですから、「ああ貧乏ってこういう感じね」「ああ居場所がないってこういう感じね」「知ってる知ってる」で済ませることもできたと思います。でも、それを自分も体験して、同じような立場に置かれている人のことをもっと分かろう、もっと大切にしよう、と思ってくださったわけですよね。それってやっぱり愛だなあと思います。人間への愛ゆえに、神様はイエス様をわざわざこの世に送ってくださったのです。
このように、クリスマスの神秘は、神が人となってこの世に生まれてくださったということにあります。他の宗教と比較しても、神が人になるというのは珍しいアイデアです。たいてい神様というのは天の高いところにいて人間を見ているとか、自分は行かないけど使いを送るとか、あるいは気まぐれに地上に遊びに行くとか、そういった神様はおりますが、神が人となって、わざわざ貧しさ、弱さ、孤独を思い知って、さらに最後は人のために死んでくださるというのはキリスト教に特徴的なことです。神が人となり、人のために死んだ。これが私たちが信じる神様であり、キリスト教の信仰です。
私たちが信じている神様は、人となってこの世に来て下さった方、貧しいところに生まれてくださった方です。ただ人間への愛ゆえに、人間と同じになってくださった方です。それは、もっと私たちを、あなたを、知るためです。私たちが抱えるどんな悲しみも、むなしさも、苦しさも、人となったイエス様ならご存じです。イエス様はそれを自分のことのように感じ取り、私たちを深く深く憐れんでくださいます。神が人となってお生まれになったこのクリスマスの奇跡を、今夜改めて祝いたいと思います。
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