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永遠の命


2022年11月6日 全聖徒主日 召天者記念礼拝

ヨハネによる福音書3章16節


ヨハネによる福音書/ 03章 16節 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。


今日は全聖徒主日です。召天者記念礼拝にようこそお越しくださいました。召天者記念礼拝は、信仰の先輩方、そして先に天に召されたご家族やご友人を記念するための礼拝です。亡くなった方を思い、その方が天の御国で安らかに憩われていることを祈り、そして私たちが生きているこの命の行く先に思いを馳せる、そんなひと時として過ごしていただければと思います。


先ほどお読みした聖書の言葉は、私たちに永遠の命について教えている聖書の箇所です。ヨハネ福音書の3章16節。そこには「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」とあります。


この一文は、キリスト教が始まって以来、聖書の中で最も尊ばれてきた言葉の一つです。ここでいう「神」というのは天地を創造された神様、「独り子」というのは神の子イエス・キリストを指しています。神様がどんなに私たちを愛しておられるか、そのために何をしてくださったかということが端的に表現された聖書の箇所です。


キリスト教の人間観は、人を本来生まれながらに罪深いものとみなしています。確かに私たちは、生きている限り、悪いことやずるいことから完全に自由になることは出来ません。そしてその罪のために私たちには滅びが待っている、つまり本来死んだら何もなくなる、無になる定めの存在であると考えられています。


しかし神様はそれをよしとされませんでした。神様は私たち人間をこの上なく愛しておられましたので、私たちがどんなに罪深い存在であったとしても、死んでも命がなくならないように、ずっと神様と一緒にいられるように、何とか私たちを救おうとしてくださったのです。


そうして神様は私たち人間に神の子であるイエス様を与えてくださいました。神様が私たちにイエス様を与え、イエス様が私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったために、私たちはその滅び(つまり無の状態)から救われて、神様と共に生きる永遠の命をいただいたというのがキリスト教の教えです。


この壮大な神様の愛は、もちろん私たちにも、先に天に召された私たちの大切な人にも、もれなく向けられています。神様はイエス様を通して私たちに永遠の命を与え、死んでも無になることなく、天国で迎えてくださっているのです。私たちの命は、死をもって跡形もなく消え去るものではありません。地上の命は天国の命に続いていて、地上にあっても天国にあっても、私たちは神様に守られています。天国という場所、死んでも終わらない永遠の命は、神様が私たちのために与えてくださった大切な宝物です。


神様は愛にあふれたお方です。神様は天国や永遠の命を、決して自分だけのものにはなさいませんでした。天国も、永遠の命も、それらは本来神様のものですが、有限の命を生きる私たち人間を憐れんで、私たちにもそれを分け与えてくださったのです。これはとってもありがたいことで、その永遠の命を思い起こす時、大切な誰かを失った悲しみもほんの少し癒されるのではないかと思います。


ここに並ぶ信仰の先輩方が生涯を通して信じぬかれた永遠の命を、私たちもまた信じて、この地上での日々を歩んでまいりましょう。みなさまの心に神様から平安が与えられますようにお祈り申し上げます。

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