top of page

贈り物(クリスマス礼拝)

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

小さい頃、クリスマスがとても待ち遠しかったことを思い出します。なぜなら、クリスマスには特別にプレゼントをもらえたからです。多くの子どもたちにとって、クリスマスはサンタクロースから贈り物を貰うことのできる特別な日です。

しかし、「クリスマスにはプレゼントがもらえる」という「当たり前」が、どのようにしてはじまったのか知っていますか?

クリスマスに最初の贈り物をくださったのは、サンタクロースではなく、神さまでした。その贈り物こそ、クリスマスにお生まれになったイエスさまです。神さまは、私たちと一緒に住むために、人の姿になり、つまりイエスさまとして、この世界に来られたのです。

神さまは、クリスマスの最初の贈り物として、イエスさまを私たちに与えてくださいました。神さまがプレゼントの送り主であり、同時に、私たちに贈られたプレゼントそのものだということです。

神さまって、どんな方だろう?私たちへと、自分の全てをプレゼントしてくださった。今も、これからも傍に居て、楽しい時には一緒に喜び、悲しい時にはその悲しさを一緒に受け取ってくださる方。神さまは、そんな方だと聖書は伝えています。

今年、クリスマスを迎え、祝うとき、最初の贈り主と、その贈り物のことを、ぜひ思い出してください。神があなたをどれほど深く思い、考えているかということを知り、あなたのために与えられたこの特別な贈り物を、あらためて受け取って欲しいのです。クリスマスおめでとうございます!

大人の皆さま、本日はイエス・キリストの誕生を祝うクリスマスです。なぜ、喜びなのか。お読みした聖書には、最初のクリスマスの出来事が記されていました。

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき……言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう』」(2:8-12)。

羊飼いは、羊を養う為に他人の土地に入って草を食べさせるほかなく、広い土地を旅するならば礼拝も休まなければなりませんでした。どちらも掟違反でした。衣服は汚れ、臭いが染みついていたならば、近くに寄ってほしくないと思う人々も多かったことでしょう。多くの羊飼いは貧しかったため、自分の羊は持てず、雇われの身でした。

主イエスのお生まれとは、そのような羊飼いたちへと真っ先に告げられたのです。しかも、ただ知らされただけではなく、彼らは誰よりも先に、生まれたばかりの赤ちゃんを見つけたと聖書は伝えます。

「メシア」とは王様のことです。皆の王となる救い主が王宮で生まれていたならば、汚い身なりの羊飼いたちは門前払いされたことでしょう。馬小屋だったからこそ、彼らは身分や身なりを気にすることなく、赤ちゃんイエスの前に進み出ることができたのだと想像いたします。

貧しさや軽蔑に縛られる羊飼いたちの元へと、天使の方からやってきて、主イエスの誕生を告げた。ここに、「神が、誰の気にも留められない小さな者を知り、真っ先に関わられる方だ」という福音(良い知らせ)があるのです。

この喜びの灯火は、小さな者たちから拡げられ、今の私たちへと繋がれてまいりました。世には痛みが、苦しさがあります。しかし、暗闇の只中で、私たちは主イエスという贈り物、その光に照らされていくのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン


bottom of page