top of page
Search

約束への確信(召天者記念礼拝)

  • jelcnogata
  • Nov 4, 2018
  • 5 min read

ヨハネによる福音書16章25-33節

16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。

16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。

16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。

16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」

16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。

16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」

16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。

16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。

16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

ルーテル教会の暦では、11月の最初の日曜日は「全聖徒(ぜんせいと)主日」と定められています。

カトリック教会では、古くから11月1日を「諸聖人の日」とし、聖人や殉教者を記念致しました。翌日の11月2日を「死者の日」と呼び、全ての死者の魂のために祈りが捧げられました。日本のお盆のような習慣として考えていただければ分かり易いと思います。(マルティン・ルターは、多くの人に見てもらう為に、前日の10月31日に扉へ「95箇条の提題」を貼った。これが宗教改革へと発展する。)

このように、古くから続けられてきた習慣に倣い、ルーテル教会でも11月1日に最も近い第1日曜日に、召天者(天に召された方々)を記念して礼拝を行います。

死は、私たちにとって避けがたいものです。平均寿命が延びたとしても、命には限りがあり、全ての人がいつかは等しく死を迎えることとなります。

いつ如何なる時に、何が起こるか分かりません。突如として事故に巻き込まれたり、病気が見つかる可能性があります。また、常に誰かと関わって生きなければならない人生において、他者と衝突し、時に批難の中心に置かれ、耐え難い苦しさの中でこれ以上生きられない状況に追いやられることもあります。

大切な人との今生の別れは、如何に苦しいことでしょうか。全ての人に全力で関わり続けることが不可能であるにもかかわらず、「もっと優しくすれば良かった。これで良かったのだろうか。もしあの時、違う行動をしていたら結果は変わっていただろうか。」と、無念さの中で考えずにはいられません。どれだけ考えても、最善の選択を思いついたとしても、死の先に行ってしまった以上、もはや手遅れなのです。

死は、これほどの力を持って、遺された生きる者を後悔に縛りつけます。同時に、戻ることの許されないこの世との断絶としての死は、そこに向かう者たち一人ひとりを恐怖に陥れるのです。

先ほどお読みしたヨハネ福音書16章は、イエス・キリストが捕らえられ、十字架にかけられる前日に、彼の弟子たちへと語った言葉が記されていました。

「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。…中略…これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:28,33)。

道とは、出発点と到着点の間を結ぶ線です。出発点を知らない者の前に道はなく、到着点を知らない者は路頭に迷います。キリストは、御自身の出処は神であり、帰る場所も神の御許なのだと言われました。

死の先に何が待ち受けるのか、人には分かりません。しかし、キリストは言われました。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。……行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(14:2,3)。

死の先には、神によって用意された住まい、命があるのだというのです。つまり、私たちは死を越えた先で、先に召されたお一人おひとりと、再び相見えるということでありましょう。

先の聖句に二重線を引きましたが、「勇気を出しなさい」は、ギリシャ語で「θαρσέωサルセオー」と言います。「大胆、確信」という意味を含む動詞です。「安心しなさい」とも訳されることもあります。

自らの死の間際、また、大切な人を失った悲しみの只中で、キリストは「確信しなさい」と招かれます。無念さ、後悔、悲しみだけに縛られない、愛する者が確かに生きた証しを喜び、記念する道。死の先に命を見、愛する者との再会という希望を確信して生きる道が、私たちの前に備えられている。この約束に立ち、安心して与えられている私たち自身の命を、この人生の一歩を、新たに踏み出したいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

Recent Posts

See All
「今週の説教」更新終了のお知らせ

いつも直方教会の「今週の説教」をご覧いただきありがとうございます。 2025年3月16日をもちまして、「今週の説教」の更新を終了いたします。今後はサイトのトップページから牧師の個人YouTubeにアクセスいただき、そちらから説教動画をご覧ください。文字情報での受け取りをご希...

 
 
 
自分の道を進む

2025年3月15日・16日 四旬節第二主日 福音書  ルカ13:31~35 (新136) 13: 31ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」 32イエスは言われた。「行っ...

 
 
 
荒れ野の誘惑

2025年3月8日・9日 四旬節第一主日   福音書  ルカ4: 1~13 (新107) 4: 1さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、 2四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終...

 
 
 

日本福音ルーテル直方教会

〒822-0025 福岡県直方市日吉町14-13

☎ 0949-22-5684(日曜日13:30-16:00のみ)

​河川敷駐車場をご利用ください(徒歩1分、無料)

牧師 森下真帆

〒802-0061 福岡県北九州市小倉北区三郎丸1-2-35

☎ 093-921-7715

bottom of page