縁
- jelcnogata
- Oct 14, 2018
- 7 min read
マルコによる福音書10章1-16節
◆離縁について教える 10:1 イエスはそこを立ち去って、ユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。 10:2 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 10:3 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 10:4 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 10:5 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 10:6 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 10:7 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 10:8 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 10:9 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」 10:10 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。 10:11 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。 10:12 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」 ◆子供を祝福する 10:13 イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。 10:14 しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 10:15 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 10:16 そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
先週、弟子のヨハネが主イエスへと報告した内容について聞きました。
「ヨハネがイエスに言った。『先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました』」(マルコ9:38)。
悪霊を追い出すとは、病気を癒やすことを意味します。「イエスという人物は病気を癒やすことが出来るらしい」という噂は既に多くの人々に広められていました。そして、主イエスによって授けられた力で活動した弟子たちについても知られていたのでしょう。
「弟子たちの力の源がイエスという人物ならば、その名前を借りれば、自分たちでも癒やしを行うことが出来るのではないか。」と考える者たちが出てきたのでしょう。主イエスの弟子たちとは別に、主イエスの名前を利用して治癒活動をする人々と、弟子のヨハネは出会ったのだというのです。
しかし、同じ活動だとしても、自分たちに従わずに自由に活動する者たちを、弟子ヨハネは許すことができませんでした。彼は、その場で彼らの活動を止めさせたのです。
恵みや癒やしとは、神の御心のゆえに与えられるものです。それを無視して、自分たちの伝統やルールに従わないという理由で、他者を裁く権利を人は持ち得ないのです。自分が身を置く場所、信じるモノこそ「最も良い」と思いたい。けれども、自らが正しいという確信を手にしたいために、気に入らない者を排除することは、人々の癒やしを願う神に背を向ける行為であることを覚えたいのです。
さて、本日の聖句には、主イエスとファリサイ派の人々との問答が記されています。
「ファリサイ派の人々が近寄って、『夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、『モーセはあなたたちに何と命じたか』と問い返された。彼らは、『モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました』と言った」(10:2-4)。
古くからイスラエルの民の間には、一夫多妻制の風習がありました。既婚男性が結婚すれば複数の女性と関係することができる一方、女性は一人の結婚相手以外との関係が分かれば死刑となります(両方不倫の場合には二人とも死刑)。このことだけでも男性中心の社会であることが分かりますが、『旧約聖書』には、さらに古い時代の不平等な掟が幾つも記されています。
申命記22章には、結婚した女性が気に入らなったため、男性が虚偽の証言を周囲に言いふらして、裁判に発展した例が挙げられています。男性の嘘が発覚した場合、鞭打ちの刑と罰金が課せられます。けれども、女性が身の潔白を証明できなかった場合には石打ちの刑、つまり死刑に処せられるのだというのです。
このような男性の横暴な振る舞いを抑制するためか、続く24章では、「離縁状」の作成が義務づけられています。
「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる」(申24:1)。
男性側が、しっかりと理由を記した離縁状を相手に手渡した後、法的に離婚が成立するという内容です。無条件ではなくなったものの、相変わらず一方的な掟に驚かされます。時代の違いと考えるほかありません。
このように『旧約聖書』の時代から様々に考えられてきた離縁について、ファリサイ派の人々は、噂の人イエスへと回答を求めたのです。
主イエスは言われました。
「イエスは言われた。『あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない』」(マルコ10:5-9)。
モーセより1300年の月日が経った当時(紀元30年)も、依然として社会は男性中心でした。皆が一様に持つ常識や価値観からは脱しにくいものです。その中にあって、主イエスは離縁の問題が夫一人の独断でも、夫婦間の話し合いで決断されるべきものでもない、と。「縁を結ぶ、切る」とは、神の領分なのだと言われたのです。
キリスト教会で長く離婚が否定されてきたのは、主イエスのこの言葉に根拠があります。けれども、たとえ結ばれた縁であろうとも、別の場所で生まれ育ち、異なる考えを持つ者が、全く同じ方向を目指して進み続けることはありません。そこで必ず衝突が起りますし、折り合いがつけられない場合、一緒に居られなくなる可能性が大いにあるのです。共に歩む決断をしたという前提の違いはありますが、結婚に限らず、通常の出会いにおいても他者と共に歩むことの難しさを考えさせられます。
人生には多くの出会いがありますが、性格や趣味が合い、深く関わり続ける友人は一握りです。進級や引っ越し、異動や子育てなど、身を置く場所が変われば生活も変わります。自分から連絡を取らなくなれば、関係は自然に薄れゆくものです。
一方、気に入らない、関わりたくない相手と出会うこともあります。その場合、必要最低限の関わりに留め、問題が無ければ関係を断つことがあります。
人は関わる相手を選びます。そこに、同時に選ばれない者が生じることになります。そして選ばれた者にとって生きやすい社会に、私たちが身を置いていることを覚えたいのです。
「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」という主イエスの言葉を広い意味で捉えることで、神によって与えられた出会いや縁を裁ち切る一人ひとりの背きが明らかにされます。
一方的に相手を支配する、時に損得で切り捨てる。「縁を結ぶ、切る」という人間関係を、人が思い通りに操作しようとする時、そこに痛みが生じます。だからこそ、人に選ばれず、共に歩む者と出会うために、主イエスは世に降られ、人々の間を旅されたのだと受け取りたいのです。
もし主に倣った生き方を実践しようとしても、相手に想いが届かず、自分ばかりが我慢をし続けなければならば、心はすり減ってしまいます。主イエスは、そのような無理を私たちへと強いられるのではありません。一人ひとりが例外なく、神の御前に罪を持つことを明らかにすることで、新たな生き方へと私たちを招かれるのです。
人は、損得によって選ばれる存在でも、多く選ばれた者が優れているのでもありません。神の願いによって、ここに存在しているのです。この大前提に立って、改めて「出会い」について考えるように、主イエスは招かれます。
今でもなお、神は絶えず新たな出会いを私たちへと与えられます。それは、これまでの私たちの背きについて赦され、そして、これから新たに歩み始めることについて受け入れられているしるしです。他者との出会いに先立って与えられている、この「主との出会い」より、私たちは歩み始めたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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