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除けられた石(復活祭)

  • jelcnogata
  • Apr 15, 2017
  • 5 min read

ヨハネによる福音書20章1-10節

20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。 20:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」 20:3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。 20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 20:5 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。 20:6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。 20:7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。 20:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 20:9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。 20:10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

キリスト教会の三大祭りと言えば、「クリスマス(降誕祭)」、「イースター(復活祭)」、「ペンテコステ(聖霊降臨祭)」です。その中でも、最も大切だと言われるのが、イースターです。

最近、TVやイベントの告知を通して「イースター」という言葉を聞くことが多くなってきましたが、この日には、一体何を記念するのか。また、イースターの出来事が、キリスト教会に集う私たちにとって、どのような意味を持つのかを、ご一緒に考えてまいります。

本日与えられた御言葉には、ヨハネ福音書が伝える「主イエスの復活」の出来事が記されています。

「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません』」(ヨハネ20:1,2)。

主イエスが十字架にかけられ、息を引き取られたのは、金曜日の3時頃だと言われています。当時は、日没の午後6時頃から新しい一日が始まると考えられていたため、土曜日の「安息日」まで、わずかな時間しかありませんでした。「安息日」は、“天地と生き物を6日で作られた神が、7日目に休まれたこと”を覚え、神を礼拝する日と決められていました。この日には、仕事をすることだけでなく、火をおこすことさえ禁じられていたのです。

安息日に入る前に、なんとか十字架の上で息を引き取られた主イエスを墓に納めることはできたものの、この地域の習慣だった「遺体に香油を塗る弔い」までは出来なかったのでしょう。そのため、マグダラのマリアは、安息日を終えた日、週の初めのまだ薄暗い時間に、主イエスの墓に向かったのです。

しかし、彼女が到着した時には、既に墓の入り口の石が除けられており、その中にあるはずの亡くなられた主イエスの身体が、どこにも見当たらなかったのだというのです。マグダラのマリアは、理解できないこの状況を、弟子たちへと伝えに戻りました。

「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった」(20:4-7)。

知らせを受け取った二人の弟子たちが墓に辿り着くと、マリアが言ったように、確かに亡くなられたはずの主イエスの身体は見当たりませんでした。そこには、身体と頭を巻いていた布のみが別々の場所に残されているだけで、他には何もなかったのだというのです。これが、ヨハネ福音書が伝える最初の復活の出来事です。

一般的には、亡くなった者との別れを終えたならば、それ以降、墓の入り口の石が除けられることはなかったことでしょう。入り口が塞がれた、光が入ることのない暗い墓とは、死の世界を表わしているかのようです。

しかし、マグダラのマリアが主イエスの墓に来た時には、既に入り口の石は除けられていました。つまり、生きる者の世界と死んだ者の世界を隔てる物が、取り去られたということです。

聖書は、生と死の間にあると考えられていた壁を打ち崩されたのは父なる神だと、伝えています。そして、空っぽの墓とは、主イエスがよみがえられた徴であると、私たちに告げるのです。

主イエスは十字架の上で死なれ、三日目に復活されました。それは、強大な死の力でさえも、神には到底及ばないことの証しです。この出来事によって、永遠の別れを覚悟して悲しんでいた者たちへと、神の御許において、先に亡くなった愛する者と再会する約束が手渡されることとなりました。この約束こそ、イースターを迎える、私たちにとっての良い知らせ(福音)なのです。

神によって命を吹き込まれ、この世界に生まれた全ての人は、いつか必ず死を迎えます。けれども、死んでしまったら跡形も無く消えてしまうのでもなく、新たな命に生まれ変わるのでもなく、死の先で、私たちは神に迎えられるのだと、主イエスは言われます。

大切な家族や友人との死別は苦しく、深い悲しみが押し寄せますし、自分自身が死を迎えることも恐ろしく感じてしまいます。けれども、主イエスの復活によって開かれた道が、私たちの前には続いているのです。そして、私たちが生きているこの歩みも、死を迎えるその時にも、そして、死の先に続く道においても、私たちは孤独ではありません。

この一歩一歩に、この瞬間も、いつも神が共におられると約束されています。この約束を受け取り、主イエスの復活を祝うことから、私たちの新しい一歩を踏み出したいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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