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羊飼いの物語

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

クリスマスおめでとうございます。私たちは、イエスさまのお生まれを覚え、一緒にお祝いをします。“救い主がお生まれになった!”と、盛大に喜びを表わすのも良いでしょう。ただ、蝋燭に火を灯し、静かな時の中で、その嬉しい知らせを味わうことも、とても大切なことなのです。

先ほど、讃美歌を歌いながら、たくさんの聖書の御言葉を聴きました。そこには、イエスさまがお生まれになった知らせを聴いた人たちが非常に驚き、それぞれに行動を起こしていく姿が描かれていました。その中でも、特に羊飼いたちのお話について考えていきたいのです。

さて、「羊飼い」と聴きますと、広い草原に羊を放し、ゆっくりとそれを眺める羊飼いの姿を思い浮かべます。そののどかな光景は、忙しく毎日を過ごさなければならない私たちにとっては、うらやましく思えるものです。

けれども、イエスさまの生活されたパレスチナ地方では、「羊飼いはしたくない仕事」であり、たくさんの人々から羊飼いたちは嫌われていました。

羊は、穴があっても気づかずに落ちてしまうほど目が悪い動物です。野獣から狙われれば簡単に殺されてしまいますし、盗賊に盗まれることもよくあったようです。敵が来たときには仲間同士固まるか逃げることしかできない、穴がある場所に行けば落ちてしまう羊には、自分たちを守り、導いてくれる羊飼いが必要でした。そのため、羊飼いは自分の足を支えるだけでなく、武器ともなる杖を持ち、夜には野獣の嫌う火を焚いて、盗賊が来ないか寝ないで見張りを続けたのです。

夏は雨が少ないパレスチナ地方では、草がたくさん生える場所は限られおり、探してそこまで移動しなければなりません。サンダルで土の上を歩き、乾燥した風にのって砂煙も浴びます。そして、羊と一緒に眠るのですから、とても汚かったに違いありません。その姿で町に現れたならば、避けて通る人も多かったでしょう。

また、聖書には、“世界とそこに住む生き物を6日間で作られた神さまは、7日目に休まれた”とあります。そのため、7日目は「安息日」と呼ばれ、仕事をせずに礼拝にでなければならない掟がありました。けれども、毎日羊に草をあげなければならない羊飼いたちは、休むことも礼拝に出ることもできませんでした。

もう一つ、羊飼いたちには守れない掟がありました。“人の物を奪ってはならない”という掟です。羊を生かすためには、どうしても人の土地に入り、そこにある草をもらわなければならなりませんでした。

見た目も汚く、掟を守れない羊飼いたちは、人々から“羊飼いたちは悪いことを続けるから、神さまは助けてくださらないだろう”と言われていたのです。

しかし、仕事は命がけで厳しく、人からは避けられ、神さまからも捨てられたと言われてしまう。そのような悲しく辛い中を、それでも一生懸命生きていた羊飼いたちの前に、天使が現れて言ったのです。

「『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ』」(ルカ2:10-14)。

人々から避けられていた羊飼いたちへと、真っ先にイエスさまのお生まれが伝えられました。そして、天使のお告げを聴いて、急いでベツレヘムに向かった羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かされるイエスさまに出会うこととなったのです。

もし、王様の住む宮殿で、イエスさまがお生まれになったならば、砂にまみれ、羊のにおいのする羊飼いたちは、中には入れてもらえなかったことでしょう。宿屋でさえ、彼らが入ることを拒んでいたかもしれません。

しかし、主イエスは宮殿ではなく、馬小屋でお生まれになりました。夜の風は冷たく吹き込み、飼い葉桶に敷かれた藁は刺さり、布にくるまれただけの赤ちゃんには過酷な環境です。そして、周囲には家畜がいるのです。そのような場所だからこそ、恥をかかされたり、追い出されたりすることなく、羊飼いたちはありのままの姿で、イエスさまに出会うことができたのです。

馬小屋でお生まれになったイエスさまの姿は、貧しく、誰にも見向きもされない人々をも、神さまはしっかりと知っておられ、愛しておられることの証しです。夜の暗さの中、諦め、悲しむ人たちの前に現わされた希望の輝きなのです。

羊飼いたちと同じように、神さまは私たちをも知っておられます。この世にお生まれになったイエスさまは、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)と、約束してくださいました。この約束に力づけられながら、私たちに与えられたこの命を、大切に生きていきたいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン


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