父の覚悟
- jelcnogata
- Dec 11, 2016
- 7 min read
マタイによる福音書1章18-25節
1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。 1:24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、 1:25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
クリスマスの季節になると、幼稚園などでは聖劇(ページェント)が行われます。主イエスがお生まれになった場面を、演じる者も観る者も劇を通して追体験するのです。馬小屋の上に星が輝き、飼い葉桶に寝かされる主イエスへと、マリアとヨセフが優しい視線を送る。羊飼いと羊も寄り添い、三人の博士たちがそれぞれ贈り物を献げ、天使たちが加わり合唱が行われる。多くの聖劇がこのような進行で進められていくことでしょう。ただ、これは記されている内容を、ひとつに合わせて作られたものです。
たとえば、マルコ福音書では、ガリラヤより宣教の旅に出られた主イエスの御姿から語り始められており、主イエスのお生まれについては触れられていません。ルカ福音書でのみ洗礼者ヨハネの両親の物語や彼らに会いに行ったマリアの苦悩について、また、天使が羊飼いへとお告げを語った場面が記されています。そして、マタイ福音書においてのみ、ヨセフの苦悩や占星術の学者たちの話が登場するのです。救い主のお生まれを告げられた一人ひとりにとって、そこには他者とは比べることのできない劇的な出来事が起こっている。それゆえ、クリスマス物語全体を知ることと共に、その一つひとつの出来事に注目していきたいのです。
本日は、婚約者マリアが身ごもったことで、人生の中でも大きな分岐点に立たされることとなったヨセフの物語について、御言葉より聴いてまいります。
「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:18,19)。
現代になり先進国では男女平等が定着しつつありますが、イスラム教圏内では、未だに一夫多妻制や女性のみが顔や髪を隠さなければならない決まりが残っています。
主イエスの時代、ユダヤ人は500年以上も前に記された旧約聖書の掟を基板として生きていました。ここに記される掟や律法は、一家の長である父親を中心する社会の中で語られたため、女性に不利な内容も多いのです。たとえば、結婚する前に、妻となる者が他の男性と関係をもった証拠が見つかれば、彼女は皆から石打ちの刑に処せられることとなりました(申22章)。また、婚約していない娘を見つけ、(合意か無理矢理かさえ問われません)男が彼女と関係を持った場合、一家の長である父親の所有物を傷つけたとして、男は金を払い、その娘を妻としなければならない取り決めがありました。所有物を取引するかのように語られているのです。
本日の御言葉において、マリアとヨセフは婚約し、結婚を控えている状況にありました。天使は身ごもったことを告げ、「おめでとう」と語りますが、マリアにとっては、喜ばしい知らせではなかったことでしょう。天使のお告げがあったことを信じてもらえるとは思えませんし、その知らせを受け取ったヨセフの行動次第で、自らの生死が決められることとなるからです。けれども、隠し通せる問題ではないため、天使の告げた事柄について、夫ヨセフと話し合うことにしたのでしょう。ここに、彼女の大きな決断がありました。
「聖霊によって身ごもる」とは、通常考えられないことです。婚約相手を信じているとはいえ、様々な憶測によってヨセフは苦しんだに違いありません。そして、事実を確かめることはできませんし、時間を戻すことは叶わないのです。ただ、このことが表沙汰になれば、彼女は人々の間で裁かれ、石打ちの刑によって殺されることになってしまいます。限られた時間の中で、すべてを受け止めることは難しく、一方、現状を明らかにすることで、大切なマリアが他の人々によって石を投げつけられて殺されることも避けたかったのでしょう。それゆえ、深く悩んだ末、ヨセフは「ひそかに縁を切ろうと決心した」のだというのです。
「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』」(マタイ1:20-23)。
愛するマリアとお腹にいる赤ちゃん、そして、自らの今後について考えた上で、最終的に密かに身を引くことを、ヨセフは決断しました。それは、父権制社会の中で考え得る最善の道であり、当時の男性の中でも、ヨセフが愛情深く、忍耐強い者であったことを表わす行動です。
しかし、ヨセフがすべてを尽くして答えを出した様子をご覧になり、神は天使を彼の夢に遣わし、告げられたのです。“「インマヌエル(神は我々と共におられる)」と呼ばれ、人々を罪から救う者。すなわち、皆が待ち望み続けている救い主が、聖霊によってマリアの内に宿った。恐れて身を引くのではなく迎え入れるように”、と。人の考え得る最善とは異なる道を、神はヨセフへと指し示されたのです。
救い主のお生まれとは、約束の成就を待ち望んでいた者たち、そして、これから生かされるすべての人々にとっての良い知らせです。マリアが聖霊によって身ごもったことで、彼らは深く悩み、それによって一緒に生活できないほどに追い込まれましたが、それは彼ら一家の問題にはとどめられるものではないのです。神は御自身の御心を示すことで、ヨセフ自身もまた御心を実現する道を歩む者となるように呼びかけられた。人の価値観では測り得ない神の御心に立つように招かれたのです。
「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた」(1:24,25)。
ヨセフは、天使のお告げによって、産まれてくる赤ちゃんが救い主となることを知らされ、マリアと共に受け入れる道を選びました。否、御子イエスの存在が明らかにされることで、二人の関係が再び結ばれたのです。
こうして、目にとめられることがなかったであろう小さな町に住むマリアとヨセフは、家庭崩壊の危機の中で、誰よりも先に「インマヌエル(神は我々と共におられる)」と呼ばれる方に出会う者とされました。そこには、父の覚悟があったことを知らされます。そこに示されるのは、ヨセフの覚悟ではなく、最愛の御子を地上に降し、その命によって人々を救われることを望まれる父なる神の覚悟です。
神は、十字架へと続く道を備えられた上で、主イエスをこの世界へと遣わされました。愛する子どもが鞭打たれ、十字架にかけられる様を見るのは耐え難いことです。それほどまでの熱意をもって、神は私たちを大切にする覚悟をしてくださったのです。それゆえ、どれほどささやかな歩みであろうと、他者の目にとまることさえない生涯であろうとも、神は私たち一人ひとりをご存じであり、それぞれにかけがえのない役割を与えたもう方であるということ。そして、愛の神と呼ばれる方が私たちのために備えられる道が、たとえ険しく、越え難いものに思えても、神御自身の方から乗り越えて来てくださる道であることを御子の降誕が証ししています。
この世において、私たちが堪え忍ばなくてはならない苦難は多く、限界を超えて一歩も進むことができない状態に置かれることがあります。命や健康だけでなく、すべてのものは私たちの思い通りにはならないのだと、思い知らされます。しかし、神はその御名の通り、苦しさの只中にあろうとも、私たちの世に降り、共におられるのです。神御自身も私たちの痛みや悲しさを担い、そして、立ち上がれないこの身を背負ってくださいます。私たちは、この約束を手渡された者として、主の訪れに備えつつ、語りかけられる御言葉に、聴いていきたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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