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父の御許に (全聖徒主日)

  • jelcnogata
  • Nov 6, 2016
  • 6 min read

ヨハネによる福音書16章25-33節

16:25 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。 16:26 その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。 16:27 父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。 16:28 わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」 16:29 弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。 16:30 あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」 16:31 イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。 16:32 だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。 16:33 これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

この世において、愛する者の死に直面することほど、悲しく、寂しい出来事はありません。年齢にかかわらず、早すぎるその別れを惜しみ、「満たされた最期を迎えられただろうか。もっとしっかりと関わることができたのではないか」と、無念さを感じずにはいられないのです。今一度、声を聞くことができるならば、そのような気持ちに整理もつきましょう。けれども、死という隔たりを超える方法を、私たちは知りませんし、教えるために戻ってきた者もいないのです。

ルーテル教会の名前でもあるマルティン・ルターは、人を根底から揺るがすほど強大な死の力を「悪魔の働き」と呼び、“この世界には、一人ひとりを愛される神と、悪魔との闘いがあるのだ”と、語ります。それゆえ、私たちには隠されており、到底力及ばない死の先について語られる主イエスの御言葉に聴いていきたいのです。

本日は、教会の暦では「全聖徒主日」と呼ばれ、古くから、先に天に召された方々を覚えての礼拝が続けられています。この「聖徒」とは、罪に打ちひしがれようとも神に良しとされ、神のものとされた人々を指します。愛の神と呼ばれる方ですから、人の手による洗礼の有無にかかわらず、この世に生を受けた者一人ひとりを、聖霊によって御自身の子どもとして引き受けてくださることを信じます。そのように、全聖徒主日とは、先に召された聖徒と、今を生きる聖徒がキリストを通して繋がれていることを思い起こし、礼拝で合わされる記念の日。十字架の先におられる故人と向かい合いつつ、過ごす時なのです。

先ほどお読みしました聖書の箇所には、主イエスが御自身の弟子たちへと最期に語られた告別の言葉が記されています。この直後、主イエスは人々に捕らえられ、暴力と侮辱を浴びせられ、十字架へとかけられます。すなわち、主イエスと弟子たちは、死によって分かたれることとなるのです。十字架にかかり死なれた主イエスは、三日目に復活し、天に昇られたと伝えられていますが、いずれにしても死別同様、触れ合えない場所へと向かわれることになります。だからこそ、別れの後に弟子たちが挫けることのないように、主イエスは御言葉を語られたのです。

「その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(ヨハネ16:26-28)。

十字架に至るまでの3年間に、主イエスは、世の常識によって押しつぶされ、抑圧される者たちや、貧しさや病いによって苦しみつつも、助け手のいない者たちと出会われ、彼らに神の御心を告げて行かれました。主イエスが天に昇られたならば、残された弟子たちには語る言葉がなく、祈りさえも神に届かなくなるのか。否、愛する弟子たちをも大切に想われる神が、彼らの願いへと耳を傾けられるのだと、ここで告げられています。

なぜ、そのように言えるのか。「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く」(16:28)とは、主イエスの出発点と到着点とを示す重要な言葉です。聖書で、人が「神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(マルコ10:25)と語られているにもかかわらず、父の御許から来られた主イエスお独りだけは、再び父の御許へと帰る道筋を知っておられるのだというのです。そのように、弟子たちとこれまで共に歩まれた主イエスが父の御許に帰られるからこそ、もはや主イエスが仲介するのではなく、キリストへの信仰によって神と弟子たち自身が結ばれるのだと言われるのです。

「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(16:33)。

主イエスの御言葉を通して告げられ、教会で伝えられる「復活」とは、まさに死の先へと続く道があるということを示しています。そして、その先には、一人ひとりの人生に伴って、あらゆる場面で恵みを備えられた神がおられ、生涯を歩み抜いた者を御自身の住まいに招き入れて、永遠の安らぎをお与えになるのだと言われます。主イエス御自身が、“わたしが神へと続く道となろう”と、約束してくださっているのです。

私たちにとって、全ての断絶とも思える死が、神のもとへと通ずる道の通過点であるならば、“死を体験する者は、真っ先にキリストに出会う”ということとなります。ともすれば、誰よりも先に神の約束が果たされたことを知り、まず満たされるのは、既に召された方々であることを知らされます。この地上における歩みを終えた愛する者を見送ることは、私たちにとって非常に深い悲しみとなります。けれども、神の愛ゆえに、人が神の御許に迎え入れられることは、その人そのものを引き受けられる神の喜びであることを覚えたいのです。

私たちが忘れたくないものは、その人の死ではなく、その人と共に生きた生です。共に紡いできた時間が、多くの思い出があるからこそ、私たちは大切な人を忘れられない、忘れたくない、忘れないのです。

しかし、神が今、召された人々と共におられ、お一人おひとりに揺るぎない安らぎを手渡されるならば、私たちの憂いは取り去られる。神への信仰を生きる日々の中で、愛する者を感じ続けることができるからです。

全聖徒主日において、生ける私たちは、主イエスの死と、聖徒たちの死を記念することによって、神の祝福に出会います。たとえ死において、神と悪魔との戦いがあろうとも、キリストの十字架と復活の出来事によって「死は勝利にのみ込まれた」(Ⅰコリ15:54)と言われます。もはや、死の力が私たちを縛り付けることなどできません。死のない人生ではなく、いずれ誰もが死を迎え、神のものとされる人生にこそ、神の救いは現されるのです。

「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)。

この御言葉に励まされつつ、先に召された愛する者が父の御許で安らぎの中にあることを信じ、いつの日にか再会する時を待ち望みつつ、私たち自身に与えられている人生の道を歩んでいきたいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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