繋がり
- jelcnogata
- May 22, 2016
- 7 min read
ヨハネによる福音書16章12-15節
16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 16:15 父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
先週、私たちは聖霊降臨祭(ペンテコステ)を祝いました。その名の通り、父の御許から遣わされた聖霊が、弟子たち一人ひとりの上に降り、彼らを満たされた出来事を覚える記念日です。
使徒言行録の2章によれば、聖霊に満たされた弟子たちが違う土地の言葉で話し出したことによって、エルサレム神殿で行われていた祭りに集まっていた人、あらゆる場所から巡礼に来ていたすべての者たちが皆、“それぞれの故郷の言葉で、主についての証しを聴くこととなった”と、記されています。
当時は、一人ひとりが聖書を手にすることができませんでしたから、「律法学者」や「ファリサイ派」と呼ばれる学者たちが皆の代表として、聖書の内容を教えていました。また、神殿を守る祭司たちに儀式をしてもらうことによって、年に一度、神の赦しを宣言されていました。読み書きができ、聖書を学ぶことのできる環境に生まれなければ学者にはなれませんし、祭司の血筋でなければ、神殿で儀式を行うことはできませんでした。つまり、“彼らに従わなければ”聖書に記される神の御言葉を知ることができなかったし、神の赦しが宣言されることはなかったということです。指導者たちの想いや理解が加わる分、人々は純粋な御言葉を聴く機会はなかったでしょうし、動物を買うお金がなければ儀式を行うことはできず、赦される機会を失ったことでしょう。指導者が力を持ち、彼らに従うことで御言葉と赦しが手渡され、ふさわしくない者から神は遠ざけられてしまう。ユダヤ人の、その中でも一部の人々のみに神の恵みが約束される。そのような世界に聖霊は降られ、これまで聞いたことのなかった福音が、弟子たちを通して語られることとなったのです。
旧約聖書には、人々の歩みの至る場面で道を示し、働きかけていかれる神の御姿が記されています。当時の人々は、幼い頃から各家庭において信仰を継承するための学びを行っていましたし、会堂や道端で学者たちから聖書の内容を教えられていました。それゆえ、彼らは、奴隷とされていた先祖たちが神の御業によってエジプトから導きだされたことを記念する過越祭など、それぞれのお祭りを祝い続けてきました。また、聖書に記される“救い主を遣わす”との神の約束を信じ、外国の監督下で肩身の狭い思いをする現状を耐え忍んでいたのです。
ただ、口伝えの神の御業が巻物に書き記されてから、すなわち、私たちが旧約聖書と呼ぶ書物を人々が手にしてから、主イエスの時代でも500年ほどの月日が経っていました。待ち続けるとは、非常に難しいことです。“本当に救い主は来られるのだろうか。神は、苦しい現状に対して何もしてくださらないのか。神はどこにおられるのだろうか。”愛する者が約束の成就を見ないまま亡くなってしまうならば、そのように考えても仕方がありません。
神の民にふさわしくないと考えられていた者たちは救いが語られないまま放置され、神を信じようとする者たちの間にも次第に諦めムードが漂っていく。いかに先祖の歩みに深く関わられた神の御業があろうとも、後の時代の人々にとっては、それらがただ過去にあった出来事となっていく。現状を変えられず、神の御業を感じることのできない者たちにとって、父なる神は遠い存在として感じられたことでしょう。
そのような中で、聖霊に満たされた一番弟子のペトロは、真っ先に人々を呼び集めて言ったのです。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」(使徒2:14)と。復活の出来事から50日しか経っておらず、周囲の人々によって「イエスの仲間」だという理由で捕らえられて酷い仕打ちを受けるかもしれない。それでも、“主イエスは神から遣わされた者として、あなたがたの間で御業を現していかれたのだ”と、ペトロは人々に告げていったのです。彼らの証しを通して、これまでに語られることのなかった福音が告げられることで、人々の問いに一つの答えが手渡されました。すなわち、“神はどこか分からない遠くにおられるのではなく、主イエスの御姿に示されるように、人々の生活の只中を歩まれ、御国に至る道へと招かれる方である”ということが証しされたのです。
こうして、約束された救い主イエスが天に帰られた後、確かに聖霊が遣わされ、弟子たちは満たされました。その証しを聴く者たちの内、多くの者が弟子たちから洗礼を受けていったのだというのです。
本日は、三位一体主日です。天地創造の“父なる神”。人となり近づいてくださった“イエス・キリスト”。人を外側から包んで満たし、神と人・人と人とを繋ぎ、御言葉を心へと届けて下さる“聖霊”。いずれも、ただおひとりの神さまの三つの姿として、キリスト教会では“三位一体の神さま”と表現いたします。
私は、この表現を聴くたびに、私たちへと近づいて来られる神の御姿を思い起こします。天地創造から歴史への介入に至るまで、その果てしない流れのすべてを支配しておられる全能の父なる神。御心を誤解し、信仰に立っていると言いつつも神を見ない者たちの社会へと幼子として生まれ、痛みを負う者たちと共に歩み、十字架とすべての罪を背負って死なれ、復活されたイエス・キリスト。そして、一人ひとりを包み、いかなる場所にも伴われる聖霊。現在を生きる私たちも、聖霊なる神に伴われる者の一人とされているのです。御心によって、前よりもさらに近くに来られ、徹底的な恵みによって包まれる神が、私たちと共におられるとは、いかに力強いことでしょうか。弟子たちの証しを通して、神の御姿を知らされた人々も同様に、驚きと喜びを知らされたに違いありません。
主イエスは最後の晩餐において、父と子と聖霊の繋がりについて、次のように言っておられます。
「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである」(16:12-15)。
主イエスは祈りによって父なる神の御心を聴き、それを弟子たちへと告げていかれました。同じように、聖霊も父なる神の御旨を土台とする主イエスの御言葉を受け取り、それを人々へと告げ、意味を悟らせるのだと言われます。父と、子と、聖霊なる神によって告げられた御言葉を、今、私たちは語られています。それはつまり、私たちもまた、主イエスと聖霊に連なり、父の御心を聴く者とされているということです。
しかし、主がいかに近づいて来られようとも、御言葉を聞き流し、御心を受け取らないならば、自ら主の御許から遠のいていくこととなるでしょう。私たちは、主によって語られた御言葉と御旨に留まりたい。何よりも、留まることによって、私たち自身が主のものとされていく恵みを感じたいのです。
父と子と聖霊の深い繋がりを語られる時、私たち自身もまた強く主に結ばれていることを知らされます。主に連なり養われる私たちと同様に、新たに主に結ばれる一人ひとりを喜びつつ、迎えたいのです。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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