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ヨハネの証し

  • jelcnogata
  • Dec 14, 2014
  • 7 min read

ヨハネによる福音書1章19-28節

◆洗礼者ヨハネの証し 1:19 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 1:20 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 1:21 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 1:22 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 1:23 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」 1:24 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 1:25 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 1:26 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 1:27 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 1:28 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

クリスマスを待ち望みつつ、私たちは待降節(アドヴェント)を過ごしています。アドヴェント・クランツには3つ目の火が灯され、喜ばしい主の御降誕は、ついに目前に迫っています。

先週、私たちは、“預言者によって伝えられていた救い主が来られる”と人々へと叫び伝え、主イエスを指し示した洗礼者ヨハネについて、御言葉より聞きました。彼の姿は次のように語られていました。

「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。……ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」(マルコ1:4,6)。

紀元30年頃のユダヤの地域には、既に衣服はありましたし、一般的に温かい煮物やパン、肉などが食べられておりました。その中にあって、洗礼者ヨハネは、らくだの毛衣を着、いなごと野蜜を食べ、荒れ野で生活をし、救い主の訪れを叫びつつ、悔い改めの洗礼を教えていたのです。常軌を逸した彼の姿に、人々が興味を持つのも無理はありません。何よりも、彼の語る言葉は聞き捨てならないものでした。洗礼者ヨハネの語る“救い主の訪れ”とは、人々が長い間待ち望んでいた出来事だったからです。

洗礼者ヨハネの噂は、たちまちユダヤ全域に伝わり、人々は彼のもとへと集っていきました。救い主の訪れを前に、自らの歩みを思い起こして、不安になったのでしょうか。多くの人々は、彼の言葉に従い、悔い改めの洗礼を受けていったのです。

ただ、その人々の中には、洗礼者ヨハネの正体を暴こうとする者がいました。

「さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、『あなたは、どなたですか』と質問させたとき、彼は公言して隠さず、『わたしはメシア(油注がれた王:救い主)ではない』と言い表した。彼らがまた、『では何ですか。あなたはエリヤですか』と尋ねると、ヨハネは、『違う』と言った。更に、『あなたは、あの預言者なのですか』と尋ねると、『そうではない』と答えた。そこで、彼らは言った。『それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか』」(ヨハネ1:19-22)。

祭司やレビ人とは、当時の宗教指導者です。祭司は、神さまへと人々の献げ物を捧げる儀式を司る者、レビ人は聖書の御言葉を研究して民に伝える者でした。“洗礼者ヨハネは救い主だ。エリヤだ。モーセだ”との噂が人々の間に広がっていたため、祭司とレビ人は真偽を確かめるべく、洗礼者ヨハネへと単刀直入に「あなたは誰ですか?」と問いました。すると、彼は“あなたがたの言う者の誰でもない”と言うのです。けれども、これほど多くの人々を扇動したからには、その権威がどこから来るのか、その正体を知らぬまま帰ることはできません。祭司とレビ人は、さらに問い詰めていきます。

そこで、洗礼者ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて答えました。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」(ヨハネ1:23)。荒れ野で叫ぶ声とは、聖書の語るところの“救い主の訪れを告げる者、主の道を整える者”です。洗礼者ヨハネは「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(1:26,27)と語りますが、彼自身にとって、自らの正体など、どうでもいい問題でした。むしろ、“これから来られる方にこそ目を向けるように”と語るのです。

それでも、祭司やレビ人は、洗礼者ヨハネの言葉の真意に気づけぬまま、彼に詰め寄るのです。「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」(1:25)と。“あなたには何の権威もないのだから、人々に洗礼を授ける資格はない”と言っているかのようです。私たちは、洗礼者ヨハネが用いた預言者イザヤの言葉を思い起こしたいのです。

「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ」(イザヤ40:3,4)。

地位や権力のある者が上に立ち、貧しく力のない者は低められている。御言葉を守れる者が道の真ん中を占領し、罪人と呼ばれる者、人との接触を禁じられている者は町から追い出されている。この現実こそ旧約の時代に預言者イザヤが語った山と谷、険しく狭い道にほかならないのです。人が造り上げてきた社会では、このように人の価値が決めつけられてはいないだろうか。不当に抑圧され、低みに追いやられている者はいないだろうかと、問いかけられます。主をお迎えするための備えとして、今こそ平らで広い道が求められています。

これらのことは、まず谷が身を起こすこと、つまり、抑圧された人々が神さまからの光に照らされて身を起こすことから始められます。神さまによって大切にされる者として、端へと追いやられた者から招かれる必要があるのです。

また、主は、一人ひとりの信仰の道・主の道を訪れてくださいます。全ての人が、その道を訪れてくださる救い主に目を向け、来てくださる主への備えとして、人生の主人公となっている自分自身の道を譲らなければなりません。

そのように洗礼者ヨハネが宣べ伝えた悔い改めの洗礼とは、主の道を整えるために伝えられたこととして受け取りたいのです。いかなる立場に生きる者も、主の御前に立つ一人の人間として、主の愛を噛みしめていく。そして、主に大切にされる互いの存在を喜び合いながら、主の訪れを待ち望む。主の御前に立つ時、“誰が偉い、誰が一番だ”と言い合うことが、どれほど無意味であるかを知らされるのです。誰もが招かれており、誰もが喜んで受け入れられる。そのような、神さまが望まれる広く平らな道が現れるために、洗礼者ヨハネは人々のもとへと遣わされたのです。

「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」(1:26,27)。

洗礼者ヨハネの言葉は、謙虚さからではなく、すぐに救いが来ることを知る者としての喜びから語られたことを覚えたいのです。

私たちは知っています。後に来られる主イエスが、見捨てられた者の手を取って癒し、同じ釜の飯を食い、共に歩まれ、御言葉を語っていかれたことを。人々の真ん中を歩み、十字架で死に3日目に復活され、赦しと救いの扉を開いて下さったことを。

主の御降誕を待ち望む私たちは、洗礼者ヨハネ同様、この良い知らせ(福音)を真っ先に語られた者にほかなりません。この社会に山と谷があり、険しく細い道がある荒れ野であるならば、叫ぶ声として私たちはこの世界で主の御言葉を表していきたい。私たち自身が主に手を引かれ立ち上がった者たちだからこそ、喜びつつ、主の御業を証ししていきたいのです。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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