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御言葉の種

  • jelcnogata
  • Aug 3, 2014
  • 7 min read

マタイによる福音書13章1-9節

◆「種を蒔く人」のたとえ 13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 13:2 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。 13:3 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 13:4 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 13:5 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 13:6 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 13:8 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 13:9 耳のある者は聞きなさい。」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

時々、「自分は何故信仰者となったのだろう」と考えることがあります。生涯、神さまを知らぬまま、教会の横を通り過ぎて生きていたかもしれない中で、今、こうして礼拝に集い、御言葉に耳を傾けている私がいる。考えるだけで、不思議な思いにさせられます。

この場に集うお一人おひとりにも、“知人に紹介された。家族が信仰者だった。教会に来れば、滞った人生に流れを作れると期待した。たまたま教会を見つけたので入ってみた。聖書の内容が気になっていた。信仰者の集まりが楽しそうに見えた。宣教師から英語が学びたかった。”など、教会に連なるキッカケがお有りだと思います。神さまと無関係な者として生涯を閉じるのではなく、私たちが毎週礼拝に集う者とされ、御言葉に生かされる者とされたことに驚かされます。ここに、私たちの内で起こされた神さまの奇跡があるように思うのです。

さて、本日の御言葉には、主イエスは御自身のもとに集まった多くの人々に対して、一つのたとえを話された出来事が記されています。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」(マタイ13:3-9)。

通常、地面に落ちた種は根を伸ばし、土に含まれる養分や水を吸い、葉を茂らせ、日光を浴びて生長していきます。どれか一つでも欠ければ、うまく育ちません。主イエスは落された種について、いくつかの例を挙げておられます。

“道端に落とされた種は鳥に食べられ、石だらけで土の少ない場所に落とされた種は芽を出したが日照りで枯れてしまった。茨の中に落ちた種は生長が阻まれ、良い土地に落ちた種は豊かに実を結ぶ”と言われました。まさにその通りです。種は、動物たちの食糧として食べられてしまいますし、根で水を吸えない中、日照りに焼かれれば枯れてしまいます。他の植物の間で芽を出しても、土の養分は取られてしまい、葉の陰で日光を得られずに育たないのです。けれども、豊かな土、水、日光という条件があるときには、「あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍」(マタイ13:9)の実りをもたらすのです。

このたとえ話を通して、主イエスが伝えようとされたことが、少し後の箇所に記されています。

「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである」(マタイ13:18-23)。

主イエスは、蒔かれた種が“御言葉”であり、蒔かれる土地を“人の心”だと言われました。御言葉という種が人の心に落とされる時には、このようになるとたとえを通して教えられたのです。

“語られた御言葉を聞き流す人々は、悪い者に種を奪われてしまい、語られたことに表面上だけで喜ぶ人は、苦しみや困難に遭ったとき、すぐにつまずいてしまう。また、この世の欲や柵に縛られる人に落とされた種に実りはない”と、御言葉を受け入れないことで起こる出来事について話されました。

聖書や信仰が伝えられていない世界に主イエスが現れ、突然“私は死んで三日目に復活する”と言われたとしても、冗談にしか聞こえません。苦しい中で力強い言葉を語られて喜んでも、束の間の感情かもしれません。また、主イエスを尊敬しても、自らの欲や人の目を気にして従えないことも大いに考えられます。多くの人の心は、御言葉の種を枯らしてしまう土地で占められているように思うのです。

それでも、主イエスは良い土地について言われました。「御言葉を聞いて悟る人」は良い土地であり、そこに御言葉の種が落ちた時には豊かに実を結ぶというのです。たしかに、人の心は荒れ野であり、石や茨が満ちていたとしても、神さまの御手で耕せない土地は無いはずです。だからこそ、私たちの内にある枯れた大地に、生きた水を湧きあがらせることのできる神さまへと、”何とか、私たちの心を豊かな土地に変えていただけないか”と願うのです。そして、主は私たちがそのように願う前から、その力強い御手によって耕してくださっているにちがいありません。そのように、本日の御言葉を受け取ることもできるのです。

しかし、私たちはこの御言葉が、“大地と種についてのたとえ”ではなく、“種蒔き人のたとえ”であることを、今一度思い起こしたいのです。良い土地に落ちて、豊かに実を結ぶ種は、蒔かれた種全体のほんの一部でしかありません。つまり、多くの土地に種を蒔き、収穫を待ったとしても、何一つ実らない可能性があるのです。たとえ、種に生長するだけの力が秘められていたとしても、落ちる場所によっては芽を出すことすらできないからです。芽が出て実を結ぶ時を待ち望み、あらゆる大地へと種を蒔き続けるには、どれほどの根気が必要なのでしょうか。主イエスは、人々の心に御言葉の種を蒔き続ける“種蒔き人”でした。

主イエスは人々のもとへ向かい、御業と御言葉とを現して行かれました。御言葉に感動する者も、奇跡によって癒された人も数えきれないほどいたことでしょう。主イエスは、神さまから預けられた御言葉を打ちひしがれる人々へと語り続けることによって、種蒔きをされたのです。人の心が、どれほど種の生長を妨げる大地であろうとも、主イエスは人々のもとへと歩み出し、御言葉を語り続けられました。 “たった一粒でいい。人の心にあるたった一箇所の良い土地に種が落ちれば、あとは御言葉の力によって百倍、六十倍、三十倍の実りがもたらされる”。そこに、主イエスの御言葉の力への絶対的な信頼と、人を見捨てることなく忍耐をもって関わられる深い愛とが現されているのです。

私たちの心模様は、日々移り変わります。喜ぶこともあれば悲しむこともあり、怒りに震えることもあれば、渇くときもあります。私の心のほとんどすべての場所が、良い土地ではなかったことを私自身が一番よく分かっています。だからこそ、私たちの内に聖霊による鍬を入れ、実を結べる土地となるまでに耕し続け、どれだけ骨を折りつつ主が種を蒔いて下さったのかと考えずにはいられないのです。私たちが教会に集い、御言葉を語りかけられるたびに力づけられる出来事は、主イエスによって蒔かれた一粒の種の御業です。感謝して、この恵みを喜びたいのです。そして、私たちの内に百倍にも実った御言葉の種をもって、今度は主イエスと共に種を蒔く者とされたいと願います。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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