聖霊がくだる(聖霊降臨祭)
- jelcnogata
- Jun 8, 2014
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使徒言行録2章1-21節
◆聖霊が降る 2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 2:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 2:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 2:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 2:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。 2:14 すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。 2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。 2:16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。 2:17 『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。 2:18 わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 2:19 上では、天に不思議な業を、/下では、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。 2:20 主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。 2:21 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
本日は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)です。この日は、キリスト教の三大祭の一つとして、重要な意味をもっています。主イエスは“私が天に昇った後、真理の霊(聖霊)をこの世に遣わす”と約束してくださいました。本日の第一の日課としてお読みしました使徒言行録には、主イエスの約束通り、弟子たち一人ひとりへと聖霊が注がれる出来事が記されていました。
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(使徒2:1-3)。
ユダヤ教のお祭りには、旧約聖書に記されるエジプト脱出を記念する「過越祭」というものがあります。神さまが苦しみの中に在る民をエジプトから導き出して下さったことを記念する最も重要なお祭りです。それから50日目に、小麦の収穫を祝う「五旬祭」があります。
主イエスは、この「過越祭」の期間中に十字架にかかられ復活されました。そして、収穫を祝う「五旬祭」に聖霊降臨の出来事が起きたことから、キリスト教でも「復活祭(イースター)」から50日目に「聖霊降臨祭」が祝われるようになりました。「ペンテコステ」とは、ギリシャ語で「50番目」という意味なのです。
さて、五旬祭に一同が一つになって集まっていた、つまり礼拝していた時、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」というのです。聖書は聖霊なる神さまが訪れる様を、激しい風、音、炎と表現しています。旧約聖書にも、やはり神さまの姿は見えませんから、神さまが現れる際には、このような自然現象を伴って描かれています。特に、炎は神さまの力の象徴なのです。
かつて、主イエスが人々の前に現れる直前に、洗礼を宣べ伝えていた洗礼者ヨハネは、来たるべき救い主について「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(ルカ3:16)と語りました。“聖霊が見える形でくだられる”と言われる時、救い主として来られた主イエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた出来事を思い起こします。
「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(ルカ3:21,22)。
注目したいのは、弟子たちへとくだられた聖霊は、主イエスがお受けになった霊であり、この同じ霊が一人ひとりの上にまで届き、とどまったということです。
「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」(使徒2:4-6)。
洗礼には、バプテスマというふりがながふってあります。このバプテスマというギリシャ語を直訳しますと、「全身を浸す」という意味があります。聖霊によって満たされた弟子たちは、“聖霊によって洗礼を受けた”と言えます。
聖霊に満たされた時、弟子たちは「“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」と記されています。弟子たちが聖霊を注がれたことで、主イエスの御言葉はユダヤ人だけにとどまらず、全世界へと伝えられるようになったのです。
「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。『ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください』」(使徒2:14)。
かつて主イエスを三度「そんな人は知らない」と言い、十字架の御前から逃げ去ったペトロ。復活の主と出会い、三度「わたしを愛しているか」と問われ、後悔の悲しみを癒されたペトロには、人々にどうしても話したいことがありました。「知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください」と、自らを赦し、癒し、信じ続けて下さった方。すべての人にとっての希望の光、力強い支えとなる御言葉を語られた主イエスのことを、ペトロをはじめとして弟子たちは宣べ伝え始めたのです。
聖霊降臨の出来事によって、御言葉がすべての人々に語られるようになり、教会の歩みが始まりました。ですから、「ペンテコステ」は「教会の誕生日」なのです。
私たちは聖霊がどのような人々に注がれたのかを思い起こしたいのです。漁師、徴税人、ユダヤ教の熱心者、罪人と呼ばれる人々に、です。時に利己的になって人を攻撃し、誓いを破り逃げ出す。そのような弱さを持ち、痛みを抱える弟子たち一人ひとりへと聖霊は注がれたのです。
弟子たちはこの後、地の果てにまで主イエスの御言葉を宣べ伝えるために旅立って行きます。それによって、多くの人々が信仰の道に入ったことが聖書には記されています。けれども、弟子たちはこのことを自らの功績とはしていません。むしろ、弟子たちを通して働かれる神さまの圧倒的な力(愛)について讃美し、主を信頼する仲間が増し加えられた出来事を喜んでいるのです。迫害者によって命を狙われる中においても弟子たちに喜びをもたらし、押し出した力の根源は、彼らと共におられた聖霊に他なりません。聖霊なる神さまが、弟子たちを導き、守り、語るべき御言葉を教えられたからこそ、彼らは力強く歩み通したのです。
「『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである」(ヨハネ7:37-39)。
人は欠けを持つからこそ、互いに助け合う喜びを知り、神さまの恵みを噛みしめるのではないでしょうか。痛みを知り、苦しさと辛さを実感するからこそ、神さまの御言葉が心に響き、生きるために必要な糧として味わうことができるように思います。
主イエスが言われたように、私たち一人ひとりは神さまからの恵みが注がれる器です。私たちの内に、聖霊を通して神さまの恵みが日々溢れ出すほど注がれています。それだけではなく、私たちという器にある欠けた部分、弱い部分からも神さまの恵みはとめどなく流れ出すのです。私たちから流れ出る神さまの愛は、必ずや私たちと関わる人の器へと、注がれていくのです。そのように私たち自身の弱さでさえも、御言葉を伝えるために用いて下さる神さまに感謝したいのです。
主が約束通り遣わしてくださった聖霊が、今も私たちと共におられることを信じます。聖霊降臨の出来事は、私たちへと御言葉が届けられた出発点です。聖霊によって送り出された先人たちのように、私たちも御言葉を携えて歩んで行きたい。ひとたび信仰の群れに加わる兄弟姉妹が与えられたならば、心から喜び、迎えていきたいのです。聖霊に満たされた者として、神さまに祈りつつ歩んで参りましょう。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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