良い羊飼い
- jelcnogata
- May 11, 2014
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ヨハネによる福音書10章1-16節
10:1 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
10:2 門から入る者が羊飼いである。
10:3 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
10:4 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
10:5 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
10:6 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
10:7 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。
10:8 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
10:9 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
10:10 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
10:11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
10:12 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
10:13 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
10:14 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
10:15 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
10:16 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
先ほどお読みした御言葉には、主イエスが「羊飼いと羊」のたとえを用いつつ、御自身について説明しておられる場面が記されていました。
私たちの教会には羊飼いを職業としておられる方はおられませんし、日本中を見渡しても羊飼いをしておられる方とは、非常に少数であると思います。ですから、あまり身近でない羊飼いと羊について、主イエスから教えられることが多くあります。
「『はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。』イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった」(ヨハネ10:1-6)。
羊は、近眼であまり遠くを見渡すことはできないそうです。奥行が捉えにくいため、くぼみや崖がありそうならば前に進もうとしませんし、影は避けて明るい場所を好んで歩きます。家畜として飼われている羊ならば、さらに行動範囲は狭まります。荒れ野に放置されれば、偶然以外で新鮮な草を探すこともできませんし、群れからはぐれ道に迷ってしまえば、ストレスから死んでしまうのです。また、外敵に出会った場合、逃げることしかできない羊は簡単に殺されてしまいます。
ですから、羊にとって“羊飼いの声を聴き分けられるか、そうでないか”ということは、命にかかわる重要な問題なのです。
羊飼いの役割とは、“すべての羊の名前を呼んで囲いから出し、新鮮な草のある場所まで先導していくことだ”と、主イエスは語られました。他者から見れば羊たちの違いなど分かりません。羊たちの世話をし、大切にしている羊飼いだからこそ違いに気づき、それぞれの名前を呼ぶことができるのです。反対に、“門から入らず、羊が声についていかない場合、その者は盗人であり、強盗だ”と主イエスは言われています。
当時のユダヤの人々にとって、この主イエスの話は非常に身近なものであったはずです。けれども、「何のことか分からなかった」と語られている。つまり、主イエスが何を言わんとしているかを理解できなかったのです。
「イエスはまた言われた。『はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである』」(ヨハネ10:7-10)。
主イエスが来られるまで、神さまを忘れ、自己中心的に生きる人々の間には、様々な争いがありました。人が人を支配し、略奪や殺戮が正当化され、弱い人々は尊厳さえ踏みにじられていた。旧約聖書を通して神さまを信じ、御言葉を聴いていた人々でさえも、自己中心的に生き、差別をする事態に陥っていたのです。
そのような世界に対して、神さまが救い主を送ってくださったのです。“神さまから離れた人々は悔い改め、神さまを信じる者となりなさい”。神さまの御前に立つ者、等しく愛されるべき存在として造られた者同士支え合い、平安に生きていくことができるように、最愛の御子イエスを送って下さったのです。
聖書には、そのような“神さまの御心・想い”、そして、祈りによって神さまの御心を聴いて歩まれる主イエスの姿が記されています。
つまり、“『主イエスの門から入る』とは、『主イエスの御言葉を受け入れ、従って歩む』ということ。そして、この門こそが、人が豊かな命に与るための唯一の道である”と、主イエスは言われるのです。
“人の救い”には様々な形があります。占いによって力づけられる人や、アイドルの追っかけとなることで生きる気力が湧いてくる人もいます。優しい言葉だけ受け入れて安心する人もいれば、一目を置かれることで生きる意味を得る人もいます。
けれども、救いを手渡してくれる人や、救いを探しに行くための健康を失ってしまえば、“救い”もまた消えてしまうのです。だからこそ、主イエスは“もう繰り返し救いを探しに行かなくていいのだよ”と、痛みを抱える人々を御自身のもとへと招かれるのです。
主イエスは続けて言われました。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11-15)。
羊飼いの中には、雇われて人の羊の世話をし、賃金をもらっていた人もいたようです。羊飼いにとって、羊の身を狼や盗賊から守ることも大切な使命でした。ただ、雇われた人にとって、賃金をもらうために世話をしている羊のために命を失うことほど馬鹿馬鹿しいことはありません。身の危険を感じた雇われ人が逃げ去ることもまた、周知の事実だったのでしょう。
しかし、主イエスは「わたしは羊のために命を捨てる」と言われました。しっかりと一頭一頭との関係を大切にし、名前を呼ぶ羊飼いのように、主イエスは“御自身に従って神さまを信じる者のために、命を捨てる”と言われるのです。私たちは、その通り、十字架にかけられることとなろうとも、御言葉を語り続けられた主イエスの姿を知らされています。
主イエスは、何のために命を捨てられたのか。「羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるため」(ヨハネ10:10)です。つまり、神さまを信じる私たち一人ひとりが豊かに命を受けるために、主イエスはその命のすべてを注いでくださったのです。
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる」(ヨハネ10:16)。
私たち一人ひとりは、かつて囲いの外にいた者に違いありません。しかし、今、私たちは主によって招かれた者として、きっかけは様々ですが等しく教会に集められています。決して清く生き続けてきたわけでも、他者よりも優れていたわけでもないならば、やはり導かれたとしか言いようがないように思います。
今も神さまのことを知らず、孤独の中を歩んでおられる方は、つまり主イエスが「その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける」と言われている一人に違いありません。私たちが出会うのは、主イエスが豊かな命を与えようとされている大切な人たちです。主に導かれ、従う私たちは、御言葉を語り伝えていきたいのです。そのとき、私たちを通して語られる御言葉の声が、きっとその人の内に響くはずです。
私たちは群れに加えられる一人の主の羊を心から喜び、迎えたいのです。そして、私たち自身もまた喜ばれて群れに加えられたことを覚えつつ、主に信頼して従っていきたい、そのように願います。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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