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福、来たる

マタイによる福音書4章12-17節

4:12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。 4:13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。 4:14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。 4:15 「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、 4:16 暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」 4:17 そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

先週、私たちは主イエスの洗礼の出来事を御言葉より聴きました。

他国の支配の中で、“救い主がいつ来るのか”と心待ちにしていた人々のもとへと、洗礼者ヨハネはやってきました。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3:4,5)。

洗礼者ヨハネは、当時の人々から見ても風変わりな姿をしており、聖書の学者や祭司たちも語らない言葉を宣べ伝え、当時一般的でなかった「洗礼」を多くの人々へと授けていきました。彼は主イエスの親せきであり、母エリサベトと主イエスを身ごもるマリアは出会っています。洗礼者ヨハネが30歳を過ぎて人々へと洗礼を伝えるときまでに、母エリサベトより幾度も主イエスについて聴いていたことでしょう。

それに対して、人々へは救い主のお生まれを知らされていなかったようです。もしかしたら主イエスのお生まれについて羊飼いたちが告げていた言葉を、人々は信じなかったのかもしれません。また、時の王ヘロデの圧力によって、救い主のお生まれを語ることが出来なかったのでしょうか。いずれにしろ、旧約聖書に記される御言葉は、長い間、それも何代にも渡って語り伝えられてはいましたが、約束の救い主はまだ来ないのです。その為、疑問がもたれるようになり、期待を捨てる人も多々いたようです。

“救い主が訪れる”ということを知っているのと知らないのとでは大きな違いがあります。人々の間に諦めが広がっていた時代において、洗礼者ヨハネが荒れ野で力強く御言葉を伝えるに至ったのは、彼が“救い主の訪れ”を母の胎にある時から喜び、生まれた後も聞かされていたからだと思います。この良い知らせを語り伝えるべく、洗礼者ヨハネは人々へと洗礼を授けていったのです。水に全身を沈め、水から上がるときには新しく生まれ変わる。自己中心的な生き方を悔い改め、神さまを見上げつつ生き始めるしるしとしての「洗礼」の噂は、瞬く間に広がり、多くの人々がやってきました。そこに、主イエスもやって来られ、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのです。

私たちは主イエスの洗礼の出来事から、知らされることがあります。①主イエスも人々と同様に、自己中心的な生き方ではなく、悔い改めて神さまを人生の土台として歩み始められたということ。②主イエスに対して「天自らが開き」、聖霊と御言葉とが与えられたこと。③天は未だ開かれたままであり、そこから今を生きる私たちへと聖霊と御言葉とが与えられ続けているということ。

だからこそ、今でも教会では「洗礼」を大切にし、神さまを見上げつつ、主イエスの御後に従って御言葉を世界へと語り伝えるのです。

「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった」(マタイ4:12-14)。

さて、本日の御言葉の冒頭では、“救い主の訪れ”を真っ先に知らされた者として悔い改めと洗礼とを語り広めた洗礼者ヨハネが捕えられたことを聖書は記しています。人々の待ち望んでいた救い主とは、“自らの国を奪還するような軍事的な指導者”というイメージがありましたから、当然支配国にとっては危険な人物と考えられていたはずです。人々の“洗礼者ヨハネは救い主ではないのか?”という噂や、ユダヤの人々が一か所に集まっていることは反乱の企てとも受け取れますが、直接的には洗礼者ヨハネがヘロデに対して兄弟の妻であったヘロディアとの結婚を非難したことにより(マルコ6:17-18)、ついに捕えられてしまうのです。一方、主イエスはガリラヤへと退かれ、故郷ナザレからカファルナウムという地へ移り住み、御言葉を語り始められました。それは、旧約聖書のイザヤ書に記されている約束が果たされるためでした。

「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4:15,16)。

このゼブルンとナフタリとは、主イエスが育たれるナザレを含むガリラヤ湖西岸の地域です。既に紀元前722年にはアッシリアによって征服され、アッシリアの王による強制移住政策によって北イスラエル王国の人々は連れ去られ、異邦人の居住地となっていました。

主イエスがガリラヤの人々の前に現れるのは紀元30年頃ですから、外国の人々が移り住んで来て約750年が経っていました。それほど長い年月を、ユダヤの人々は救い主が来られる時を待ち望みつつ、外国の支配を耐え忍び生きていたのです。ある者は奴隷となり、立場はなく、苦役を強いられる歩みは、暗闇そのものであったことでしょう。

「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」(マタイ4:17)。

神殿のあるエルサレムではなく、ギリシャ風に作られた都市の中で細々と生きなければならなかったガリラヤの人々の前で初めて、主イエスは語り始められたのです。それから御言葉を語られる主イエスの姿は、暗闇と絶望の中で生きる小さな一人をも神さまは見放すことはなさらないことのしるしです。イザヤが語る「暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」という言葉の通り、主イエスは人々の暗闇を照らす光としてやって来られました。

他国に支配される人々の思いは、もはや戦いによって奪還することでしか収まらないようにも思えます。けれども、主イエスは人々の期待とは全く違う歩みをなさいました。自分の力を押し通すのではなく、神さまの御心を果たしていかれる。戦いによってではなく、大切にすることで相手を変えていかれる。十字架の死は、人々に指導者を失うという失望を与えたかもしれませんが、その後、復活されたことによって、今を生きる私たちの希望ともなってくださったのです。憎しみに生きる人々へと、命を懸けて愛の実践を示して下さった主イエスの姿を私たちは覚え、御後に従って生きたいのです。

“救い主の訪れ”を告げられた時、すでに人々の前に希望の光は輝き始めました。国を奪還したとしても、愛する者や失った時間は取り戻すことは出来ません。しかし、“救い主の訪れ”という希望の光によって照らし出されれば、人は生きる意味、再び歩み出す方向を見つけることができるのです。

「暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4:16)。

今、形は違っても、人は絶えず何かと戦っているように思います。ある人は愛する人との別れの寂しさと、ある人は明日をどう生きればいいのか分からないほどの貧しさと、ある人は自分の力では解決できない悲しみと。思い起こしますと、失ったもので取り戻せないものが多くあることに気づかされます。そのときを支え、乗り越えさせるものは、やはり希望の光であると思うのです。

私たち一人ひとりは希望の光として来てくださった主イエスの御言葉によって、苦しい時にも道が開かれてまいりました。失ったものの大きさに押しつぶされそうなときでも、希望の光は輝き続け、支えてくださったのです。その喜びを知る私たちであるからこそ、絶望に悩まされる方々へと、生かされる喜びと生きる希望となる御言葉を伝えていきたいのです。そこに信仰と教会との命があります。

「悔い改めよ。天の国は近づいた」という主イエスの伝道開始・開口一番の御言葉は、日本における福音の初めには、「福、来たる。各々、襟元を正すべし」と告げられたことでしょう。幸福の訪れを聴いた者として、お一人おひとりが喜びをもって教会を丹精に整えてくださっています。福音の訪れを聴いて生きる者、整えられた教会の佇まいは、前を通り過ぎるだけの者をも襟元を正すであろう証しとなっていきます。今年も祈りつつ、主イエスの御言葉に耳を傾け、歩んで参りましょう。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

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