喜びは小さな町から(クリスマス記念礼拝)
- jelcnogata
- Dec 21, 2013
- 7 min read
ルカによる福音書1章46-55節
1:46 そこで、マリアは言った。 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、 1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。 1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、 1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、 1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。 1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、 1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
本日は、12月22日です。ルーテル教会では、25日が日曜日でない場合、その少し前の日曜日にクリスマス礼拝をします。クリスマスは英語でChristmasと書きますが、Christは“キリスト”のこと、意味は「救い主」です。Massは“礼拝”やお祭りのことですから、クリスマスは「キリストの祭り」という意味なのです。だからこそ、私たちは教会に集まり、イエスさまが私たちの世界にお生まれになったこと・来てくださったことをお祝いするのです。
2000年前にイエスさまがお生まれになった出来事が、2013年を生きる私たちとどんな関係があるのかを考えてみましょう。
先ほど読みました聖書の御言葉には、「マリア」という人が登場します。彼女は、神さまによってイエスさまのお母さんとされる人です。マリアには、大工をしている「ヨセフ」という婚約者がいました。二人は、ナザレという小さな町で静かに暮らしていました。
ある日、マリアのもとへと天使が現われて、次のように告げました。
「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい』」(ルカ1:28-31)。
天使はマリアへと、“神さまがあなたに男の赤ちゃんを授けてくださるから、生まれた子にはイエスと名付けなさい”と言ったというのです。この時代は、皆だいたい中高生ぐらいの年齢で結婚していましたから、若いマリアは急に赤ちゃんの母親になること、しかも神さまから授かった赤ちゃんであることを、結婚するヨセフにどう伝えたらいいのか、非常に悩むこととなったのです。
そこでマリアは、自分より6か月も前に同じように神さまから赤ちゃんを授かった親せきのエリサベトの所へ会いに行くことにしました。エリサベトはずっと子どもを授からないことに悩んでいて、神殿の祭司だった夫と共に、神さまにお祈りしていました。そして、ついに祈りがかなって、子が与えられたのです。ですから、エリサベトは同じく神さまから赤ちゃんを授かったマリアが会いに来た時に、彼女を心から祝福し、自分のことのように喜んだのです。
このエリサベトとの出会いは、誰にも相談できずに悩み、途方に暮れていたマリアを励まし、勇気づける出来事となりました。その時、マリアが言った言葉が、先ほどお読みした聖書の御言葉です。もう一度読みますので、聴いてください。
「そこで、マリアは言った。『わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに』」(ルカ1:46-55)。
マリアは小さな町で、大工のヨセフと細々と暮らしていました。
けれども、人の人生はいつも幸せいっぱいで、うまくいくとは限りません。時々、つらい出来事に出遭って悩むこともありますし、人との関係がうまくいかなくなり苦しくなることもあります。不器用な自分を情けなく思って落ち込んだり、人に対して腹が立って喧嘩になったりすることもあります。どんなに働いても生活が豊かにならず、頑張っているのに誰も自分を大切にしてくれないと悲しくなることもあります。そのような思いを抱えることは、いつでも誰にでも起こることだと思います。きっとマリアも同じです。だからこそ、生活の中で嬉しい時も悲しい時も神さまにお祈りをしていたのでしょう。
一人ぼっちだと感じていたかもしれませんし、不安もたくさん抱えていたかもしれません。しかし、神さまはそのマリアのもとへと天使を送り、苦労していた人々が待ち望んでいた救い主イエスを授けてくださったのです。マリアは自分の所に天使が現われたことを通して、“小さな町に住む小さな私をも、神さまはしっかりと見ていてくださった”と実感しました。“どんなときも決して一人ぼっちではなかった”ことを知らされたのです。いつもそばにいてくださった神さまとの出会いは、マリアにとって心からの喜びとなり、イエスさまのお母様になる勇気を与えられたのです。
この後、お生まれになったイエスさまは、天使がマリアへと語ったように救い主として歩んでいかれます。誰も触れない病人の手を取ったり、誰も話しかけない人の前で立ち止まって一緒に食事をされました。誰にも大切にされない人に、“神さまはあなたを愛している”と話しかけ、争う人たちには、“敵を大切にし、赦し合いなさい”と語られました。イエスさまがなされたことや話された御言葉は、すべて神さまが願っておられることでした。聖書には、そのよう歩まれたイエスさまの姿がどこにでも書かれています。
この聖書は2000年の間、たくさんの人に読まれてきましたし、これからも多くの人の心の支えになっていくことと思います。なぜなら、聖書には神さまの愛のメッセージが書かれているからです。神さまの御言葉は、つらさや苦しさで生きるのを諦めようとする人々を励まし、生きる意味や生かされる喜びを与えてくれます。私たちの誰もが“神さまによって喜ばれている”という生きる意味が与えられ、そこから生きる力をもらい、これからも歩み続けることができるならば、イエスさまがお生まれになったことは私たちにとって大切な記念すべき喜びとなるのです。
「救い主がお生まれになった」という大きな出来事が、この小さな町の小さなマリアから始められたということを私たちは覚えていたいのです。それは、私たち一人ひとりからも神さまの奇跡が始められるという徴です。神さまは、今この時もあなたへとあたたかい眼差しを注いでおられます。そして、かけがえのない存在としてあなたを大切に思い、あなたにしか果たせない役割を与えてくださるのです。
私たちの毎日は、喜びに満たされる時もあれば、壁にぶつかって苦しみの荒波に飲み込まれる時もあります。しかし、クリスマスの出来事は、あなたが神さまに喜ばれて今ここにいることを知らせてくれます。いつも神さまがあなたをしっかりと見ておられ、そして、祈りを聴いてくださいます。共にいてくださる神さまに信頼しつつ、これからの日々を歩んでいきたいと思います。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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