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信じられないお告げ

  • jelcnogata
  • Dec 14, 2013
  • 8 min read

マタイによる福音書1章18-23節 1:18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。 1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。 1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。 1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」 1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 1:23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン

本日の御言葉は、主イエスの父となるヨセフの心境について描かれた箇所であることから、初めに私事で恐縮ではありますが、私の父となる体験を一つの例えとして述べさせていただきます。

今年の4月の終わりに結婚し、私は夫になると同時に父親にもなりました。結婚を決意したときには、妻はシングル・マザーとしてすでに2歳になる娘を育てていました。私が結婚を考えるに至ったのには、一つ理由がありました。以前から知り合いだったため、妻が日常の中で娘を大切に育てる姿を私は見ていました。表情や態度から、子どもを心から大切にしていることが伝わってきました。その姿を見て、この人と歩んで行きたいと思うようになったのです。

もし娘がいなければ、妻のそのような姿を知ることは出来ませんでしたから、私自身の内で結婚への想いに至らなかったかもしれません。

違う場所を生きていた私たち二人を繋いでくれたのは子どもの存在でありました。私が父親となることを選んだから父親となれたのではありません。まず娘のほうから私を受け入れ、私の子どもとなってくれたのだと、今は思い返しています。だからこそ、それまで地に足がついていなかったような私でしたが、父親となることの覚悟をうながされ、三人で共に歩み始めることができたのだと感じています。このように、子どもの存在によって、私は父親と「された」のです。それは、大きな恵みです。

さて、本日私たちに与えられた御言葉には、“ヨセフ”という人物が登場致します。彼は、主イエスの母とされたマリアの夫です。

マタイによる福音書ではヨセフを主人公とした主の降誕物語が記され、そして、次週の御言葉であるルカによる福音書にはマリアを主人公とした降誕物語が書かれています。この二つの違う視点から書かれた御言葉から、二週にわたってそれぞれの主イエスがお生まれになる出来事を聴いてまいります。

「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった」(マタイ1:18)。

聖書は、初めに“聖霊によってマリアが身ごもっていることが明らかになった”と語り始めます。

教会へと通い、毎年クリスマスの時期になればこの話を耳にする私たちは、この御言葉をすんなりと聞き流し、受け取って来ました。けれども、よくよく考えてみますと、これは非常に大変な出来事が述べられていることにハッとさせられます。

マリアとヨセフは、婚約をしていたものの、まだ結婚はしていませんでした。この時代、結婚前に身ごもった場合、関係をもった二人は今後の責任を問われることとなりました。また、婚約しながらも一方に身に覚えがない場合、重罪を犯したとして、相手を石打ちの刑(石で打ち殺すこと)に処して良いとされていました。

福音書によれば、“聖霊によってマリアが身ごもっていることが明らかになった”のですから、マリア自身も子どもができたとの実感はなかったでしょうし、夫となるヨセフもまた、身に覚えがなかったのです。ヨセフにとっては、マリアが自分を裏切ったと考えてしまうのも無理はありません。父親の知れない子を身ごもったマリアに対して、ヨセフは次のような行動をとったと述べられています。

「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1:19)。

身に覚えがないにもかかわらず婚約者が身ごもった場合、当時の律法によって裁かれてもしかたなかった中、彼はそのようにはしなかったのです。むしろ、マリアの身の危険を案じ、ひそかに縁を切ろうと決心しました。それほどまでに大切に思っていた分、裏切られたという大きな失望があったことでしょう。孤独の中で決心するに至るまで、ヨセフは非常に悩んだに違いありません。

「このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』」(マタイ1:20-21)。

マリアとひそかに別れる決心をしたヨセフの夢に天使が現れたというのです。天使は“生まれてくる子どもが聖霊によって宿り、後に人々を罪から救う者となる”ということをヨセフへと告げました。さらに、“あなたがマリアを迎え、生まれてくる子どもをイエスと名付けなさい”と、ヨセフへと語りかけるのです。ヨセフの固い決心をよそに、天使は神さまの備えられた道を示し、その道を歩む者となるように呼びかけています。

ヨセフを紹介する言葉として、「正しい人」という言葉が使われています。マリアをかばい、彼女の前から去っていく決意をした姿を見ても、いかに優しい人物であったかは容易に想像できます。けれども、彼の選択は「マリアとの別れ」以外の道は考えられてはいませんでした。つまり、ヨセフの中にあったのは、①妻を石打ちとすることか、②ひそかに別れることの二択のみでした。世間から見たヨセフが人間としていかに正しい判断をする者であったとしても、信仰者としては眠っていたと言うほかありません。

次に、私たちは、夢から目覚めた後にヨセフがマリアの夫となり、主イエスの父親となったことを福音書から知らされます。

目覚めたヨセフは、天使から示された三つ目の道であり、かつ神さまの御心に適う最善の道を歩み始めることとなります。つまり、マリアを妻とし、生まれてくる子どもを「イエス」と名付け、親としての責任を果たす者となっていくのです。それは、ヨセフが正しい人であったからでありましょうか。あるいは、信仰深かったからでしょうか。

そのどちらでもありません。実際にヨセフは、一度は夫となること、そして、父親となることを拒否しました。聖霊によって宿る子として認知しなかったのです。しかも、あまりの落胆から責任を放棄し、立ち去ろうとするヨセフの姿を福音書は書き留めています。

最後に、そのようなヨセフのもとへと天使が遣わされたことを覚えたいのです。諦めて投げ出そうとするヨセフの想いを覆すために、天使を遣わされたのはどなたか。それは、神さま御自身にほかならないのです。ヨセフが御子イエスの父親となったのではありません。神さまが深い忍耐と憐れみをもって、再びヨセフ受け入れ、支え、御子の親としての務めという恵みを与えてくださったのです。

ヨセフを用いられた神さま、そして、救い主イエスの存在によって父親とされたヨセフの幸いを私たちは知らされます。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16)。

形は違えども、私たち一人ひとりは神さまによって選ばれ、人生における務めをいただいています。かけがえのない存在として、神さまによってこの世での生が与えられているのです。どれだけ絶望的な状況に陥ろうとも、最後には主によって与えられた役割を人は果たし、この世での生を終えていきます。なにものもそれを阻むことなどできません。何も心配はいらないのです。なぜなら、その道行を共にしてくださる方が、この世へと来てくださったからです。

「『マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である」(マタイ1:21-23)。

「神は我々と共におられる」という名前の通り、神さまは私たちと共にいてくださいます。ヨセフが神さまによって選ばれ、マリアのお腹の中にいる主イエスによって父親とされたように、私たちは神さまによって選ばれ、受け入れられています。

だからこそ、自分自身の努力や能力に目を向けるのではなく、なによりも先に恵みを与え、共にいてくださる神さまにいつも感謝したいのです。主のお生まれになった日を待ち望みつつ、主の備えてくださった道を歩んで行きたいと思います。

望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン

 
 
 

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