わたしたちの真ん中に(小児祝福式)
- jelcnogata
- Nov 24, 2013
- 5 min read
ルカによる福音書18章15-17節
18:15 イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。 18:16 しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。 18:17 はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。アーメン
今日は、小児祝福式です。祝福式では、みなさんがこれからもたくさん大切にされ、すくすくと育っていかれることをお祈りします。お父さんやお母さん、学校の先生やお友達、教会の皆さん、そして、何よりもイエスさまがあなたのことを本当に大切に思っておられます。少しの時間、聖書のお話を聴きます。
さて、ここに一つの植木鉢があります。ここにはまだ何も植えられていない、ただの土が入っています。みなさんならば、ここに何の花を植えますか。チューリップやひまわり、コスモスなど、きれいな花はたくさんあります。何を植えようか考えるだけで、夢は膨らみます。では何故、何も植えられていない植木鉢を持ってきたかと言いますと、この土にこそどんな花でも咲かすことが出来る凄い力があることを知ってほしかったからです。
種や球根が無ければ、もちろん花は咲きません。けれども、種や球根をほっといても芽は出ないし、そのまま干からびてしまうのです。土から栄養をもらって、水をたくさん吸い込んで、太陽の光をいっぱい浴びて初めて、種や球根はすくすく育ち、やっときれいな花を咲かせることが出来るのです。
わざわざ土を見つめる人はいませんし、ほとんどの人が土を踏んで歩いていることを忘れています。しかし、どのような種でも、その土に埋めてお世話すれば、すくすく育っていきます。もし花が枯れてしまったとしても、新しく種や球根を土に埋めれば、再び花を咲かせることが出来ます。つまり、土は“どのような花であっても”、“何度でも”咲かすことができる力をもっているのです!
みなさんは、そんな凄い力をもっている土に似ています。それは、夢を叶える力があなたの中にあるからです。頑張れば、宇宙飛行士にでも、一流の料理人にでもなることができます。スーパーヒーローにだって、なることができます。
今はまだ、将来何になりたいか分からないかもしれません。けれども、“何にでもなることができる力”が、今すでにあなたの中にあることを覚えていてほしいのです。それは、神さまからのあなたへのプレゼントです。
さきほど聴いた聖書の御言葉をもう一度読みたいと思います。
「イエスに触れていただくために、人々は乳飲み子までも連れて来た。弟子たちは、これを見て叱った。しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。『子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない』」(ルカ18:15-17)。
お弟子さんたちは、赤ちゃんがイエスさまのところに近づかないように怒ったことが書かれています。もしかしたら、赤ちゃんの泣き声がイエスさまのお話の邪魔になっていたのかもしれません。まだ大人になっていない子どもの相手をするのはもったいないと考えたのかもしれません。
しかしイエスさまは、“その子どもをわたしのところに連れてきなさい”と、お弟子さんたちに言われたのです。
先ほども言いましたが、生まれたばかりの子どもでも、すでに何にでもなることのできる凄い力をもっています。子どもであっても、すでに一人前の力が神さまからプレゼントされているのです。あなたは、神さまに大切にされています。そして、一人前の恵みをもらっています。どうぞ、自信をもって、あなたらしい花を咲かせていってください。
教会の皆様にも少しお話ししたいことがあります。
小児祝福式は、子どもたちを見て、子どもたちから学ぶ日です。
イエスさまは「子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(ルカ18:17)と語られました。私たちは子どもに何かを教えようと終始している中で、何を子どもに学ぶのでしょうか。
人は何かをしてもらったときに、「有り難う」よりも、「申し訳ない」と口にしてしまうことがあります。けれども、そのようなときに、“大切にされながら生きていくこと”に対して、素直に「有り難う」と言うことができる子どもに学んでいきたいのです。そして、主の御言葉に対して、自らの常識に囚われず、いつも柔軟に聞き取っていきたいのです。
何にでもなれる凄い力が秘められているのは、子どもだけではありません。病気で動けない人でも、おじいちゃんおばあちゃんになって寝たきりになった人でも、その素晴らしい力は神さまからプレゼントされています。人生の中で花を咲かすことに価値があるのではなく、その力が主によって与えられているというところに、私たちの喜びがあります。
たとえ社会の中で、花を咲かせることに注目が集まろうとも、神さまはその素晴らしい力が与えられている一人ひとりの存在そのものを「極めて良い」と言われていることを覚えたいのです。
神さまの子どもとされた私たちは、互いに補い合い、兄弟姉妹のために日々祈る家族としてこれからも歩んでまいります。私たちはお腹が空いたら食べ、寒かったら服を着ます。そのように、自然に互いに祈りをもって関わっていきたいし、相手の優しさを受け取っていきたいのです。
私たちの真ん中に居て下さる主に倣い、これから始まる日々も歩んでまいりましょう。
望みの神が、信仰からくるあらゆる喜びと平安とをあなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを望みにあふれさせてくださるように。アーメン
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