top of page

いつもあなたと共にいたもう神

特別伝道礼拝:白井幸子牧師による説教

マタイによる福音書6章25-34節

6:25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 6:26 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 6:27 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。 6:28 なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 6:29 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 6:30 今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。 6:31 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 6:32 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 6:34 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

私たちはどのような時も、今の時も来たるべき世においても、神様からの絶対的な、ゆるぎのない贈り物を頂いていることについて今日はお話をさせて頂きたいと思います。

私たちは皆、だれども、幸せになりたいと思いこの世に生まれ、そして生きています。不幸で辛い人生を生きたいとは誰も思っていません。

トルストイというロシアの小説家が、「アンナカレーニナ」という小説の冒頭に、「幸せな人は皆同じように幸せであるが、不幸な人はみなそれぞれ違った仕方で不幸である」と述べています。

人生がことのほか、厳しく、さびしいものになったしまう理由の一つに、心理学的な視点からお話しをさせて頂きますと、人生の初期に、愛情に満ち、安定した環境の中で育ててもらえなかったという状況があります。

自分のことは自分でできる大人には、想像が難しいのですが、子どもは周囲の大人に助けてもらわないと生きていけないのです。

お腹がすいていて一人でミルクを飲むこともできないし、おむつが濡れていても、自分で取り換えることもできません。1人でお風呂に入ることをできないし、欲しいものを手にすることもできません。「今、この瞬間生きられるか否か」は周囲の大人によるということになります。周囲の大人に頼らないと子どもは特に赤ちゃんは周囲の大人に暖かい関心と保護がないと生きていけないのです。

偉大な心理学者、S.フロイトの弟子で後継者といわれていた、後にフロイトから退けられてしまった、アルフレッド・アドラーは「人間がもつ心理的問題のほとんどは、劣等感からくるのであるが、

人はその劣等感を持たらざるを得ないような状況から人生を始めなければならないのである」と主張しましたが、間違っていないような気が致します。

発達心理学的な視点からは、人間は大体0歳から一歳半の間に、「どうやってこの環境のなかで、これからの人生を生きていこうかと直感的に本能的に決める」を言われています。赤ちゃんがお腹がすいたと泣いているときも、ミルクを与えないで様子を見ていると、やがて赤ちゃんのうつろな目が空中を漂います。そして、無意識のうちに考えるのでしょう。「これからどのように生きていこうか」と。

米国の精神科医である、ポール・ウェアは、思春期の入院患者さんの治療計画を考えている時、親が子供を幼児期にどのように育てたか、その育て方が、その後の子どもの生き方に影響を与えるのだと気づきました。

 親が子供をどのように育て方、それは親の養育スタイルと呼ばれているのですが、ウェアーが発見した養育スタイルは6つありました。

  1. 当てにならない養育スタイル:親が忙しすぎたり、親らしい面倒を見てやれなかったとき、「子供は自分の世話は自分でしていきます、とある日決心をします。大人になっても、あまり人と交わらず、1人で本を読んだり、研究をしたり、芸術作品を創作しありします。「スキゾイド型人格適応タイプ」あるいは、「創造的夢想家」とよばれる適応タイプです。

  2. 親が子供が弱音を吐いたり、ありのままの自分でいることを許さず、親が他人に自慢できるような存在でないと、

 かわいがってもらえなかった養育スタイルです。いつも自分でない自分で生きていくということになります。「反社会型適応スタイル」または、「魅力的操作者」と呼ばれる適応タイプです。

  • 拒否的、批判的であたったりします。その結果、子供は非常に注意深くなります。

  • 「支配的な親の養育スタイル」です。親のコントロールが強すぎるのです。子供と権力闘争をします。「親の言うことを聞きなさい、きけないのなら、どこへでも出ていきなさい」という」とスタイルです。子供の適応タイプは」「おどけた反抗者」、「受動攻撃型適応タイプ」と呼ばれています。表面的には「はい、お父さん、お母さんの言うとおりにします」というのですが、無意識の心は「あなたの言うとおりには絶対しないから」と決心します。

  • 「目的達成重視の養育タイプ」: 子供の存在そのものより、物事を達成したときだけ、ほめてあげたりします。

子供は認めてもらいたいと一生懸命努力します。「強迫観念型」または、「責任感ある仕事中毒者」とよばれます。

  • 人に喜ばれることを強調する「養育スタイル」:かわいらしいこと、人に喜ばれることを強調する養育スタイルです。「演技型適応スタイル」又は、「熱狂的過剰

反応者」と呼ばれます。人に認めてもらっているとき、

ひと喜ばせているときに「愛されている」と感じます。

  実際例:

岡田 尊司(おかだ たかし)著 「生きづらさ」を超える哲学より、実際の例をお話ししましょう。

「養父との関係を引きずった夏目漱石」(p.138)

「坊っちゃん」「こころ」などで知られている文豪、夏目漱石も、寂しい生い立ちを引きずった人だった。漱石は、生まれて間もなく里子に出されるが、粗末な扱いを受けているのを姉が見かねて、一旦、生家に連れ戻される。しかし、一歳のとき再び養子に出され、養父母に育てられるのだが、養父母の折り合いが悪く離婚したため、九歳のとき再び生家に戻される、どちらの親からも捨てられたという思いが、漱石のなかで尾を引くことになる。しかも、養父と実父が対立し、その狭間で、漱石は戸籍さえも宙ぶらりんの状態で肩身の狭い思いを味わう。漱石特有の、世をすね、斜めに構えた、皮肉な一面は、こうした生い立ちと深く関わっている。「坊っちゃん」が、親から愛されず、彼のことを気の毒に思った女中に可愛いがられたというくだりは、漱石自身の境遇が反映されている。

 若いころの漱石の作品の主人公はユーモラスで破天荒なキャラクターで、明るさを備えているが、後期になるほど、漱石の作品はペスミスティックで、憂鬱な空気を孕む(はらむ)ようになる。

 人に対する信頼や愛情をいうよりも、裏切りや人間不信、虚無感が大きなテーマとなっていく。それは、漱石自身が根底に抱え続けたものだと言える。晩年の作品である『道草』には、養父が主人公に借金を頼みに来る場面が出てくる。そこで語られる養父に対する思いは、ぞっとするほど冷え切ったものであり、モームの眼差しと共通するものを感じさせられる。

 しかし、漱石やモームを文学へと駆り立てた原動力が親に愛されなかった悲しみだとすれば、心の重荷は生産的なエネルギーにも転換することができるということを教えられて、幾分心安らぐのである。 pp138-139

岡田先生が書かれた「生きづらさ」を超える哲学のなかには 漱石のほかに乳幼児期に生育環境が望ましいものでなかったために、「生きづらい」人生を「苦悩しながら」生きた人たちの]例が語られています。

1)親との折り合いに苦しんだペシミズムの哲学者『アルツール・ショーペンハウアー』:

20才年下の母親と結婚した父と母の仲ははじめからうまくいかず、母親は長男のショーペンハウアーを愛することができず、愛する振りさえすることができず、社交界にのめりこんでいったのである。母はゲーテなどとも親しくなり、有名な小説家になったのですが、父親は家政婦や女中さんなのどの介護をうけ孤独の中で自らの命を絶つという人生を終わりました。母親に愛されることを死ぬほど望んだにもかかわらず、それが得られず、生涯を通して苦しんだのである。その苦しみの中から、後世に名を残す哲学者になったのであるが。           

2)自殺をすると何度も不安定になり、親をあわてさせたドイツの小説家、「ヘルマン・ヘッセ」は後に苦しみの中から「車輪の下」「ガラス玉演技」などを書いたノーベル文学賞を受賞した作家であるが、いわれのない不安に悩んで生きた人である。宣教師であった

ヘッセの両親はヘッセを寄宿舎へ入れてインドへの宣教に旅立つのであるが、ヘッセは両親の愛情を自分に向けようとさまざまな問題行動を起こすのであるが、その望みはかなえられることはなかった。母親の両親も宣教師であり、若い頃、同じ孤独と苦しみを味わったのであるが、その子、ヘッセもまた、お同じような苦しみを味わうこととなった。

 3) ロシアの文豪ドストエフスキーも人生の「どん底」を極めた人である。父親は軍医であったかがアルコール依存症の癇癪持ちで、横暴で癇癪持ちで、偏執的な人物だった。子どもたちに親らしい愛愛情を注ぐどころか、過酷な厳しさで息子たちを抑えつけた。息子たちは寄宿学校に入れられ、小遣いも与えられず、外出も交友も許されず、一日8時間の 勉強を3年間強いられた他のである。

 p119、後に心の病を患った不安定な母親に悩まされたチャールス・チャップリンもまた、例外ではありません。(岡田、パーソナリティ障害、142)

Ⅱ 私たちをいつも見守り、支え、愛して下さる神

先にお話しした、 偉大な哲学者、文学者が若かりし頃、両親、特に母親の愛情を求めてかくもつらい孤独な戦いを経験しなければならなかったのであるが、今日私たちの多くが程度の差はあっても同じ戦いを強いられているのではないでしょうか。 

  しかし、私たちは知っているのです。私たちを決して裏切ることのない、決して失望させることのない、どのような時も私たちを愛し、守って下さる神を存在していることを。

今朝お読み頂いたマタイによる福音書6:25-35は、次にように語っています。

 「自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと思いわずらうな。栄華を極めたソロモンさえ、野に咲く百合のようには着飾っていなかった。今日咲き、明日な炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように守って下さっているのだ、まして、あなた方はどうなのか。天地を創造された同じ手間暇をかけてあなたを、価値あるものとして、この世に生をもうけて下さったあなたを、神が忘れていることがあろうか。今も、明日も、また、来るべき世においても、私はあなたを忘れない、あなたを見守る、あなたの必要としているものをすべてあなたに与える、と述べておられるのです。空を舞う

鳥でさえ、神は愛し、見守って下さっているのです。

 人間の愛は時には当てにならず、与えられないときには悲しみの根源となります。しかし、神の愛は、確信と自信と希望の根源となります。そのような信仰をもって生きたいと思います。

bottom of page